まずぼくのうちは貧乏でした。
でした、と書くと今では貧乏でないという含みを持ってしまいますが、残念ながら今も有り余るほどのカネは無いです。
なぜ貧乏だったか、という疑問には答えられる貧乏とそうでない貧乏がいます。
ぼくのいまの現状はなぜかわからないけれども貧乏なのですが、子どものころの貧乏は説明できます。それは母子家庭だったからです。
とくに不自由な生活はしていなかったと思いますが、やはり家はボロアパートでしたし基本的にぼくは一人でいることが多かったです。
そんな一人の時になにをするか、と言ったらゲームか絵を描くことだったんですね。
ぼくはそんな家庭状況から比較的早めにスーパーファミコンを買っていただけたのです。このへんで「貧乏じゃないじゃん」とお思いの方もいらっしゃるかと思われます。
しかし考えてみて下さい。土日にどこにも行かない家庭は結構お金がかからないものなのです。母は小売業に従事していたので土日は100%仕事。ぼくは家で一人。まぁ学童保育とか行ってましたが。
あと書いてて思い出しましたがたしかこのスーパーファミコンは母のパトロンに買って頂いた物だった気がします。
やはりゲームの魔力とは今でも感じますが多感な小学生時代にそれと過ごす時間が長いとどハマりするわけですよ。
しかも制止する人間が誰一人いないという天国のような状況。
そんなこんなでゲームに夢を見るわけですよ。低学年時であればやはりヒーローや勇者、格闘家や配管工になりたいと思うわけじゃないですか。
でもそんなの叶わないと察する時期もやがて来るわけで。その時期というのが所謂小学生も3.4年生やらそこら。
夢見る少年じゃいられないぜ、ヘイ!なんつってじゃあそんなゲームを作る人になろうと、まぁ実際は思っていなかったですが将来の夢とかで特になりたいものがなかったぼくは好きなものならなんとなく理由が明確になると思い、そう書いたんですよゲームクリエイターなんて。そこから始まる夢ってあるじゃないですか、きっかけはふとした発言だったりするわけですよ。
そしたらまぁ母親に言われました、大人になってまでゲームするの?なんて。
ゲームを与えた本人から大人になってまでゲームしているなんてちょっとどうかしている的なことを言われたわけですね。
兎にも角にもぼくの考えた夢は彼女にとってはおかしなモノだったわけです。
そんなこといわれてぼくの心はポキリと折れてしまったのですね。
今ではスマホやらなにやらで大人もゲームする時代で、ゲーム業界も挙って商品開発を行い、いまやかなりの一大コンテンツですよね。そんな大産業に貢献しているゲームを作る人は偉大だとぼくは思います。
まあなにを言いたいかというと、ここで一つ母に夢を諦めさせられました。
もうひとつぼくには好きなことがありました。
それは既に書きましたが一人の余暇をもてあましていたときにしていた絵を描くことなんですね。
好きこそものの上手なれといって結構上手かったんですよ。
休み時間はインドア派だったぼくは同級生たちにあれやこれやを自由ノートに描いてはちやほやされたものです。
また、学校行事的な絵のイベントでは入賞するのが当たりでした。
たった一度だけ、入賞すらもしなかったことがあって、それは悔しくてそのことだけは鮮明に覚えてます。
絵を描くのとは少し違うかもしれませんが、書道も得意でした。そういう「描いたモノ」の発表会では常連だったんですよ。おかげで賞品で絵の具やらコンテやら画用紙セットやらはたくさんいただきました。
でも、母は基本的に褒めてくれませんでした。
ここで母の名誉を守るために言っておくと嫌な親ではなかったと申しておきましょう。
テストの結果などではちゃんと褒めてくれましたし、片親なりにぼくに不自由な思いをさせまいと常に奮起してくれていました。
じゃあなぜ絵画コンクールなどでは褒めていただけなかったのでしょう。
これは後に判明するのですが(たしか高校受験とかそれくらいの時期)どうやら母はぼくに絵で生業を立てていくとか言い出すことに恐怖していたそうです。
なぜかといったらお金がないから。美大なんて行かせるお金はないと、いわれました。
その時にはすでに絵を描くことも少なくなり、絵を描くことが好きだった気持ちもどこか遠くの国の戦争のように他人ごとに感じてしまっていたので、ふーん、そっかなんてどうでもいい気持ちでいました。
これは正直母の作戦勝ちだと思いました。ぼくの絵を描きたい気持ちなんてそんなモンだったのです。ただまぁ今になって思うのはここでも挫折のひとつだな、と。
そんなこんなで人生とは自分で切り開くものだぜ!なんて感じでは無く、親によってある程度操作されてしまうものなのかもしれませんね。消去法で選択肢を消されていくわけです。その程度の夢だといえばその通りなのですが。
ほかにも夢の挫折はありました。まぁバンドのことなんですが。
これを書くとたぶん、文字数がハンパ無いことになるのでまた今度書きたいときに書きます。
ただ、ひとつ叶った夢があるのです。
これはおそらく全人類共通の夢だと思います。そしてまあそこそこ一般的な夢ではあるのですが。
それは幸せな家庭を築くことです。
こんなぼくでも結婚してくれる女性がいて、まぁ彼女ともかなり長い付き合いなのですが、そんな信頼のおけるパートナーとの間に子どもを授かることが出来たりして。
いまは子育てやら、仕事のことやら、お金の心配やらと不安なことはいっぱいあります。たぶんみなさんもそうでしょう。
でもぼくには家族がいます。だいすきな家族が。
あのワンピースの名場面「仲間がいるよ」のように「家族がいるよ」です。
もうそれだけであとはなんとかなると思っているのです。
たとえお金が無くてもできるだけ子どもにはやりたいことをやらせてあげたいですね。
母を反面教師にしてぼくはそう思うのです。
でも母もぼくの未来を考えてくれての行為だったと思います。
結果的にいまは、満足できるような人生を送っているわけではないですが、とても幸せなのでこれでよかったとおもいます。
長々と見出しも付けずに書いてしまった、しかも一気に。うでがいたい。
こんなお題がなければこんなこと書かなかったでしょう。
書きたくないことも書いてしまう、これがブログマジック。
バンドの夢の挫折もありました、書きたいときに書きますとか言っておそらく書かないでしょうね。めんどくさいし、なんかカッコ悪い気がしますし。
もしかしたらこの記事自体消すかもしれませんね。
というか公開するのか謎。
まぁせっかく書いたし、消そうと思えばいつでも消せるし。
そんな感じです。
Netflix火花お題「夢と挫折」
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