まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

慰労会行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない

 

そもそもですよ?

慰労会というネーミングに対し、私が抱くこの精神的、憔悴。

まったくもって矛盾です。背反です。齟齬です。

ありえないですよ。労を慰めるんじゃあないの?

慰労なら、もっとやるべきことあるでしょう。

カネで解決できる問題もあると思うのです、私は。カネで癒せるつかれもあるのですよ。

カネで解決。それが資本主義でしょう?そもそもその慰労会のカネはどこからでるのですか?

そりゃただ酒のめんならソレもアリだ、なんて思ってましたがもうそんなつきあってらんないですよ。わたしだってやりたいこと(ブログ)があるんです。ひまじゃあないんです。

 

ことの発端は上司の「今年は忘年会なしだな」です。

 

どれほど、うれしかったと思います?この言葉。

こういうとき、耳を疑うってヤツですよ。

最初「えっ?」って、意味がわかんなかったんです。

でもこうだんだんとその発言が耳腔のなかで溶解してきて、意味が見えたとき。

このよろこび。喜び。悦び。慶び。歓び。ヨロコビ。はっぴー。

うっしゃああぁぁあぁあぁぁっぁぁぁぁっぁぁあ!!!!!!!

ガッツポーズというのはこういうときにでるんですね。

両のこぶしをにぎりしめて、かみしめて、息を込める。

私は笑っていたでしょう。ニヤついていたでしょう。気味悪いかもですね。でもいいんです。だって忘年会。ないんだもの。ウフフ。

 

そしたら次なんて言ったとおもいます?

 

 「時期を早めて慰労会にしよう」

 

絶望って、希望をもっていなければ知らずにすむんです。

望みが絶たれるから、つづいている望みがなければ。

最初からそんなものなければよかったのに。最初から…最初からあぁぁあぁああぁぁっぁぁぁぁぁあ!!!!!!

 

私の好きなスピッツの曲にスピカって曲があるんですけど、そこでこう言ってるんです。

幸せは途切れながらも 続くのです 

 

素晴らしい曲です。

 

この落胆は一時的なものであると、人生のベースは幸せの延長である、と。

そういうことだと、思っているのですが、解釈はひとそれぞれ。

私の幸せは、忘年会に行くことは一時的に中断してしまう、けれど、あきらめないで!

幸せは途切れながらも 続くのです 

ほんとはハッピー。あなたはハッピー。明日はハッピー。

中断してしまうハッピーだけど、未来永劫ずっとハッピー。

 

戯言ですよ。そんなの。

 

半ば妄信的に感動してしまうマサムネだけど、今回ばかりはそうもいかんよ。

いいよね、君は。

だって慰労会。いかなくていいんだもん。

 

なぜ私が、うだつのあがらないくたびれたおっさんと酒を酌み交わさなければならないのか。私だって美女と酒をのみたい。壇レイと金麦のみたい。ぜひ鍋で。

できればフカキョン。もしくはフカキョン。あるいはフカキョン

 

この角膜と水晶体を通して脳が感知するものを「世界」というのであれば、私はこの脳をより錯覚させたい。おっさんに、くたくたのおっさんにフカキョンを投影させたい。

あっちにフカキョン。こっちにフカキョン。どうしたのフカキョン?酔っちゃった?お水もってきてあげるね?フカキョンにやさしくしたい。見返りはいらない。ふかきょんだから。ビコーズ、これは愛。

でも、結局おっさん。おっさんと飲む酒。

私の人生はどうやらおっさんと酒を飲むためのもののようです。ありがとうございました。

ということで慰労会に行きました。

 

3時間後。

 

私「2,3杯飲んじゃえば、誰といたっておなじだな。楽しかったわ。」

 

花鳥風月

花鳥風月