まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

アラン・フリードの偉業

 ロックンロールのデンドウというやつがあって、ロックンロールにはエレキギターが必要なのだから、「電動」はあたりまえじゃん! とかおもったりするんですけど、これ実は電動ではなく「殿堂」なんですね。殿堂こけし。なんだかとっても巨きそう。威厳があります。

 

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 1986年に創立したロックンロールの殿堂には、非演奏者も選ばれた。アラン・フリード、サム・フィリップス、ジョン・ハモンドである。サム・フィリップスやジョン・ハモンドはレコードプロデューサー。なので音楽を「創る」側である。受賞も得心がゆく。

 

 しかし、アラン・フリードというユダヤの血脈まじった白人は、一介のラジオDJにすぎない。彼はロックンロールのためになにを「創った」のだろうか? それは「ロックンロール」という容れ物を創ったのだと、おれは愚考する。

 

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 当時、当たり前のように人種差別という境界線があった。白人と有色人種はトイレやバスまで分けられていた。それが普通だった。おれらが男湯と女湯はわかれているのが「ふつう」だとおもうようなのなのだろう。ちがうか。むろん、その境界線は聴いている「音楽」にもあったのである。

 

 黒人の音楽は「レイス・レコード」と呼ばれていた。人種レコード。なかなかのネーミングセンスである。いまそんなん言ったらボコボコにされます。その「レイス」表現が時代にそぐわないとされ「R&B」と称され始めたのが、1947年あたりことである。

 

 以前としてそれらは黒人の音楽であった。悪魔の音楽。いやぁ、そう言われると聴いてみたくなるのが人情というか、若者の好奇心。若者たちは聴いてみてびっくり。その「R&B」に夢中になるのですね。だって、白人の商業くさい「夢、愛、希望」のようなキラキラしたものではなく、「女、セックス、酒」といった刺激的なワードがふんだんに盛り込まれていたのだもの。

 

 それを「R&B」ではなく、「ロックンロール」という新しいパッケージで送り出したのが、オハイオ州クリーブランドのラジオDJアラン・フリードなのである。ティーンたちが黒人のリズム&ブルースに狂弄されていることに気がついたアラン・フリードは、新しいラジオ番組をやろうと眉宇に決意を漲らせるのである。

 

 そうして始まったのが「ムーンドッグ・ロックンロール・ハウス・パーティ」である。この番組が一気呵成に「ロックンロール」という言葉を膾炙せしめたのであった。

 

 そもそも「ロックンロール」とはなにか? というと、黒人のスラングでいろんな意味があるみたいですね。楽しくやろう! とか、同衾! とか。今様に言えば「エモい」とか、そういう類じゃないっすかね。

 

 ちなみに「ロックンロール」という呼称はどこからやってきたのか? 一般的な音楽的意義として最初に「ロックンロール」と叫んだのが、1922年に吹き込まれたトリキシー・スミスの「マイ・マン・ロックス・ミー(ウィズ・ワン・ステディ・ロール)」であると言われている。

 

Trixie smith - My Daddy Rocks Me (With One Steady Roll) 1938 - YouTube

 

 またアラン・フルードはジャイブトークという黒人のスラングをまねし、さらにはロックンロールコンサートをひらき、白人のティーンに黒人の音楽というか文化を伝播していったのである。

 

 しかし、そのため「良識ある」大人たちの反感をかい、アランはいくたびの営業妨害をうけるのであった。かなしいことである。