ストレスがたまっているのは言いたいことが言えぬからだろう。
その身体的特徴をとって「このはげーー!」などとぶちまけることができないのは、やはり私が阿諛者であり、だれかれにおもねって生きているからなんだと思う。
だけど言う。ここでは書く。ここは私のブログだ。陣地だ。サンクチュアリだ。
ブログとはそういうものだ。たとえそれが「あいつはしゃぶ中だぜ」なんつう虚偽の記事で他人を傷つけ、名誉を穢し、偽計業務妨害で起訴されたってかまわない。
私は、いや、俺は、だから、言いたいことを、言う。
グリーンダカラは昔のほうが美味い。
「陽射し」とはよく言ったもので、射るかの如く陽光がこの身を焦がす。夏。
深緑は色濃くきらきらを放ち、掌に揺曳するまだらな木漏れ日。
そして女の肌の透明度を上げる夏の陽射し。
なんていえば聞こえがいいが、事実、くそあつい。日本の夏。
じりじり肌を痛めつけるかのごとく焼き付く太陽にむせ返るような湿度のじわじわ。べとつく肌着に鹹映ゆい身体。それなのに、ああそれなのになんで電車はあんなに寒いのか。
そんなこんなで水分を補給しましょう。日本の夏。
かくいう私が懸想していた飲料がある。
それがサントリーが開発販売流通させたグリーンダカラという清涼飲料水である。
白濁した液体。一口含めばほんのりとした甘み。
じゃっかんの渋味や柑橘味もある。
それはその内容物が果実から生成されているという事実を物語っている。
いやらしくない薄味。鷹揚な香気。
喉をとおり、胃袋にとどけばしっとりと涵養する。
重畳だ。
しかし滄海変じて桑田となる。
いつのまにやら味変。
グリーンダカラの内容物が変更されていたのである。
なんという瞞着か。
外観、そのクリアーな液体。まぁ赦す。見た目は歯牙にもかけない。
だがしかし味に合点がいかない。
まずその甘みたるや旗幟鮮明でたいへん小癪なのである。
あのほんのりとした甘み、静謐としながらも高邁な甘みはどこへ消えたのか。
そして渋味や柑橘味であるが、その残滓はある。
しかし全体的にあまったるい臭気に毒され、すべてが台無しになってしまっている。
私はたいへん鼻白んだ。
あの幽けき味が素晴らしかったのに。大好きだったのに。
だのに、今のグリーンダカラはなんという世俗的な味がするのだろう。
サントリー様にも事情があったのであろう。
原材料やコストの問題があったのだと推測する。
しかし私は思う。なんて野放図な奴なのだろう。
たしかにオーガニックな感じがでていてグリーンダカラの名を襲名すべきなのかもしれないが、昔のグリーンダカラを寵愛していた私からすればもうこれはグリーンダカラの名を冠してよいものではなく、まったくもって別商品である。それをかつての栄光を手に取りグリーンダカラの名を名乗るのは欺瞞である。
私は主張する。別名にせよ!と。
そういったわけで私は考えました。
昨今のグリーンダカラの名を。
「アンマリウマクナイーンダカラ」
どうでしょう。安直ですか。
サントリー様の返答をお待ちしております。