過日。日曜。昼上がり。
ワイドナショーという番組がやっていた。
私はその内容に驚愕した。
驚愕のあまり、翌日仕事に行きたくなくなるほどだった。
その内容とは、
「日本の人口の7割は、かためのプリンが好き」
というものだった。
これにより判明したのは私は残りの3割のマイノリティということだった。
しかし、プリンはぜったいやわらかい奴のほうがうまい。
そして私は、このプリンの新事実に一種の既視感を抱いた。
「焼き鳥は塩のほうがうまい」というものである。
いつの間にやら膾炙している「焼き鳥は塩のほうがうまい」という事実がある。
コレに関しては、ある程度賛同したい。私もじつは塩派である。
しかしこれは少数派だと思っていた。
私はアナクロニズムの信仰者なので「あえて逆」みたいなものが好き。だから「焼き鳥は塩」という定説を繰り返し陳情し、酒場のテーブルで議論の火種を放擲していたのである。
しかしいつの間にかみんな「焼き鳥は塩派」になっていたのである。
私の普及活動が伝播したのか、とおもったがそうではない。
「焼き鳥は塩」と言ったほうが「通っぽい」のである。
昨今の主題として「素材の味」とかいうのが流行っている。
流行っている、っちゅうかみんなそれを意識している。
素材の味を活かすのは「塩味だ」なんて具合に触れてまわっている。
上記の「塩味が好き」には人間の卑小性みたいなものが2点隠れている。
それは「素材の味がわかる私がイカス」
と「素材の味を楽しめるような高級なものを食っている」
という自身への慢心と他者への傲岸不遜である。
故に「焼き鳥は塩」と言ったほうが自らを高尚な次元へと昇華できるのである。
つまり「焼き鳥は塩」という文脈に隠れているその思惟を文面に表すと以下になる。
「基本的に味、というか舌に絶対の自信がある乃公は、高級なものしか食べない。高級なもの、ってゆうか、たいていの美味いものって素材の味を大事にするから、味付けは邪魔しない程度の塩が多くて、だから焼き鳥は塩をチョイスするんだけど、そんな乃公って味のわかる最高にイカした人間なんだよね。タレなんてタレの味しかしないじゃん。そんなタレの味で誤魔化す、まやかしモノみたいな食事しかできない人とは、うの付き合えナーイ。」
と、言ったところですか。
これを最近の言葉で「マウンティング」というようだ。
つまり「焼き鳥は塩」といったほうが、なんとなく美味いものを食っている人間の「通っぽさ」がかもし出される、という風潮が世間一般に広まった、ということなのである。
だから「プリンはかたいほうが好き」というものそれに当たる。
おそらく「プリンかたい派」は「プリンやわらかい派」に対しこう言う。
「ほんとにうまいプリン食ったことないでしょ?」
でましたね。これですよ。だいたいこれ。こういうやつ。
「自分はうまいプリン食ってますから」
ははは。なるほど。そうきましたか。
私たちみたいなメイトーのとろけるなめらかプリンで諸手を挙げて歓喜している庶民とは違う人種でございますね。そうなんですよ。うまいプリン知らないんですよ。かたいプリンというとコージーコーナーの奴を思い出しちゃうんですよね。あのほぼゼラチンみたいなプリン。なんでコージーコーナーって潰れないんですかね?あれ好きな人いるんですかね?てこれもマウンティングみたいですね。
こうして自分を「ほんとうにうまいプリンを食ったことがある人間」として演出、いい感じの高尚なオーラを発するために「プリンはかためが美味い」という。
そんなのとっても愚鈍。
そんな愚鈍な人間が増加したようで、それはもちろんネットなどの影響もあるだろうけど、こぞってマウンティングしたい人たちは「あえて逆の通っぽい」ことを言うようになり「プリンはかためが好き」という少数派が声を上げた結果が、この7割の正体なのである!だからそれが結局大衆性になってほんと、もう、ちゃんちゃらおかしいや!!
と、妻が憤慨していました。
私が言ったわけじゃないです。
おそらく妻もそこそこひねくれている人間です。こどもの将来が心配です。
でもプリンはやわらかい奴がキャッチーでポップでうまいと思います。