まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

カバンにいつもお菓子を入れていたのだけど保育園で怒られたので辞した

頃日。袈裟懸けカバンから背負い物カバンに鞍替えをした。

 

便利なことこのうえない。アマゾンで購入した比較的安価なものだが、荷の負担が双肩に逃れるのがとても心地よい。盆は先祖よりもこの発明者のことを祈った。「たぶんエジソン」そう決め打ちをして祈った。

 

私の命脈の果て。2歳と10ヶ月になった息子がいる。それはそれは美しい顔面をしている。しかし2歳児はイヤイヤ期というものを発動させるのでこれがやっかいである。こいつをなんとかするために私は脳漿を搾った。結句、お菓子で誘導するという手段を思いついた。

 

自転車で送り迎えをしている。しかしその自転車にも乗りたがらない。スタートラインにさえ立てないことがしばしばある。しかし、ペコちゃんポップキャンディーを与えると言うことを聞いてくれる。愚劣な手段であると笑えばいい。だけど朝って時間ないじゃん。子育ては楽したほうが良い。

 

サドルにまたがり、均衡を保ちながらペダルを漕ぎ、ハンドルで舵をとる。自転車の運転は難しい。とおもいつつ5分くらいで保育園に着く。此処からが難所である。

 

まず自転車から降りない。降りても自転車のペダルで遊ぶ。保育園に入らない。入っても靴を脱がない。保育園のロッカーで勝手にどっか行く。部屋に入らない。などの没分暁漢ぶりを発揮する。

 

私は子を追い、野を駆け、山を越え、海を渡り、時に翼を広げ、揚力、重力、抗力、推力を身体に感じこの天球を飛翔する。そうしてようやく捕縛した子を尋問の末、拷問し、悽愴流涕する彼の涙の音を聞きながら保育園をあとにする。

 

すげぇたいへん。だからカバンの中に何個かお菓子を忍ばせておく。それを自転車をおりるとき「良い子でいれば、このマシュマロを授与する」と語らう。するとどうでしょうか。子は見事に言うことを聞いてくれるではあーりませんか。

 

しかし葷酒山門に入るを許さず。基本的に保育園は持ち込み禁止だそうだ。さいきん知った。ロッカーでマシュマロをもぐもぐさせる息子に先生は「なにたべてんの?」と言った。「マシュマロです」と私は答えた。「そういうのはちょっと…他の子も食べたくなりますし…」と言われた。ちょっと考えりゃわかるだろ、的なニュアンスで言われた。まぁそうだそうな、と思った。「すみません」と言ったがそれよりも「これからどうしよう…」という思いが強かった。

 

肩を落として駅に向かった。先の見据えられない人生だった。息子をおろして軽くなったはずの自転車がやけに重かった。暗澹たる心の底でちいさくひび割れたところから光が漏れていた。それは「バレなきゃいい」という悪魔的な発想だった。暗黒の現実に光を放つのは、いつだって魔の声なのだと思った。

 

だけど私はいまカバンの中身にお菓子を入れていない。その蠱惑的ともいえる囁きを払拭した。何度も頭の中を響かせる悪魔に打ち勝った。6畳の部屋。壁面に破魔の札をびっしりと貼り付け、すべての窓やドアに目張りをし、カーテンを閉め、いっさいの光が入らないようにした。うばたまの闇の中、一心に般若心経を唱えた。吹き付ける風の音が波紋のように眼前に広がった。これを3日間つづけ、とうとう私は悪魔に勝ったのだ。

 

いま息子はお菓子無しで保育園に通っている。いまだに「なんかおかしある?」と問われるが、「ないよー」といって茶を濁している。そしてちょっとした転合をしてファースを演じる。喜んでくれることがある。そうすると笑顔で別れられる。時間はかかるが、息子の美しい顔面が破顔一笑する瞬間、気色の良い物質が脳内に飽和する。それはきっとカタカナの物質で、科学的に解明されているんだろうけれど、よくは知らない。ただ幸せをもたらす。

 

脳内から溢れ、目や鼻や耳や口から滔々として流出するそれがもったいないと思う。だから私はそれらをかき集め、カバンの中にパンパンにしまって通勤している。

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今週のお題「カバンの中身」