まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ウォーキングデッドを見始めた。家族がゾンビになったらどうしようと思った。

その高名は夙にうかがっておりました。しかしあまりの高名ぶりに俗臭が濃厚だったので回避していたのです。アナクロニズム。そんなウォーキングデッドという舶来の映像作品を観賞した。超おもしろ映像だった。

 

まだシーズン1も途次である。妻と観ている。息子が眠りについたあとで観ているのでペースは遅い。寂寞とした空気が恐怖をマシマシにさせる。MGS5のイントロ、ウォーキングデッドの病院のところパクったろ。と思った。

 

なんだか家族がテーマなところがあるな、と思った。人間賛歌。まだ全部は見ていないけれど。だから私は「もし家族がゾンビになってしまったら、どうしよう」と思ってしまい、閨のなかで輾転と解決策の打開に努めている。

 

作中では絶望のあまり自害したり、ゾンビ化した家族を得手具足にて沈黙化させたりしていた。けれども、それにはよほどの精神力が必要だな、と私は思う。非情な選択だと思う。そんなことをせずとも私はもっと良い手段を思いついたのでここに記載したい。

 

いっそ自分もゾンビになってしまう。これが最善の手だと思う。ゾンビになって家族と暮らせばいい。意外といけると思う。ゾンビになって朝起きて、朝飯を食って出勤する。私は保育施設に息子を送っているのだけど、ゾンビになっても自転車に乗れるのか、というのが不安なところ。そんなものは瑣末な問題だが。

 

もっと考慮すべき問題はやはり、私が会社勤めをしているということである。

果たして、ゾンビ化したそのままの状態で雇用していただけるのだろうか。戸籍では「死亡」している。そんな物故者でも大丈夫だろうか。しかし、おそらく就業規則には「生存者のみ」、などとは記載されていない。それに脳死問題なども加味すれば、この肉体が動く状態で、なにをもって「死」とするのか。という点から奉行所に訴訟することもできる。

 

しかしゾンビ状態で労働することは出来るのであろうか。基本的な発言はうめき声だし、コミュにケーションがとれるのか不安である。交渉は失策に終わり、上司から叱咤される。怒鳴りつけられ「なんとか言ったらどうなんだ!」と申されても「…うぅ…」と言うしかない。

 

仕舞いには頭をはたかれる。血肉の通わない筋肉は衰弱しているため、いきおい頭部が転がり堕ちてしまう。そして私はゾンビとして死ぬ。上司は殺人の容疑であるが、すでにゾンビである私は死んでいるのでゾンビハンターとして紫綬褒章を授与される。事務仕事をしていても腐敗臭のためスメハラだと諫言される。余談であるが、同僚からは「おまえはもう死んでいるwww」などという洒落にもならないジョークが飛ぶ。

 

そんな傷だらけ(心も身体も)のゾンビを家族のゾンビはあたたかく迎えてくれる。風呂にはいると妻ゾンビと子ゾンビの剥がれ落ちた肉体が浮いている。そのまま排水溝に流せないので洗面器ですくい上げ、可燃ごみとして火曜と金曜に出している。ちなみに毎日いきものを捕食するのは気が引けるので、毎晩の食事は生ハムである。

 

ゾンビの趣味は散歩と捕食である。休日は家族そろって逍遥する。腕を前に伸ばし足を引いて歩く。ゾンビ然として歩く。たまにスリラーを踊る。これがどうやら楽しい。捕食に関しては人間を襲うとペナルティがゾンビ協会からくる。近所の人たちも最初は風当たりが強かったけれど、いまではもう仲良し。ときおり一緒にキャンプに出かける肝胆相照らす仲。ゾンビのいる生活。ショーンオブザデッドの世界。

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って思ったんですけど、私たち家族がゾンビになるころには、近所の人たちも、ってゆうか日本のみなさんもゾンビ化してるんじゃないだろうか。はは。そしたら上記のことなんてみな杞憂ですよ。

 

でもまじに家族がゾンビになったら自分もゾンビになると思う。そして息を潜めてゾンビとして生活をする。ミラジョボビッチに殺されないように。きっとトムクルーズあたりが、ゾンビから回復する薬品を作ってくれるはず。私は世界を救うヒーローを待っている。

 

そんなことを思いながら、ふとゾンビはどうやって動いているのだろうと疑問が湧いた。私はゾンビの原動力は「気合い」だと思う。死してなお動ける気合いと根性があれば、ゾンビになっても家族でやっていけるんじゃないかな、と思った。

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