まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

秋の夜長に古川日出男「アラビアの夜の種族」

今週のお題「読書の秋」

 

 秋の夜長に読書というと、どうしても思い出す作品がある。古川日出男という人のかいた「アラビアの夜の種族」という著作である。文庫本で三冊ある。なげー!   しかし常住、本読みをしない私でも通読できるほどのエンターテインメントに溢れている。

 

 ジャンルわけをするのであれば、ファンタジー小説、といったところであろうか。時代はナポレオンのエジプト遠征時代。砂の都カイロで碧眼の侵略者に対抗すべく奮迅するアラビアのものたち。その対抗する術、というのが一冊の本、一遍の物語である。魔術的なその本を編むために、宵の口から払暁までに語られる砂の年代記。蠱惑的ともいえる物語が、それは読者にとっては本であり、本の中の登場人物のなかでは語りであるが、ふれるもの全てを惑溺、沈湎させる。

 

 構成的には二編の構成となっている。それはひとつに繋がっているのだが、まず文体がちがう。物語の主軸である時間軸は説明的な堅い文体でかかれている。その物語のなかで語られる物語は、登場人物である夜の語り部が語っているので、もちろんそれは口語体である。その口語体の流れるような文脈が、とても読ませる。目が飛ぶように注がれていく。

 

 私はこの古川日出男という人の文体にとてもリズムを感じる。そもそも私はこの人を「ロックンロール七部作」や「ベルカ吠えないのか」で知っていたのだが、日出男の文章にはこの人らしいリズムがある。本人はたしか村上春樹フォロワーで、その影響下にある、と言っているらしいが、村上春樹よりも鋭い文章だと私は思う。ちなみに私は村上春樹は人並みに読んだことがあるが、春樹の文章ってやわらかくてなまぬるい体温のようなイメージがある。たいして日出男はかなり熱い。

 

 晦渋な文章をつむぐ。それはおそらく難解な熟語から醸成される。しかし、そんなこともお構いなく、ぜーんぜん読めてしまう。私のじっしつ学力中卒レベルの脳みそでも読めるので、たぶんきっとこれを読んでいる人ならだいじょうぶ。

 

 読んで思ったことは、物語ってめちゃめちゃ嘘やんけ。超嘘。ということである。このアラビアの夜の種族の冒頭でも著者が「これはぼくのオリジナルの物語ではない」といっている。著者がカイロを旅したときに偶然手に入れた著者不明の数百年前に書かれた、しかし日本語以外では翻訳されその物語が世界を跳梁している、といわれている英語訳の「アラビアの夜の種族」を翻訳した、という虚言からはじまる。私はこれを信じて「アラブ人すげー! めっちゃファンタジーやんけ!」とおもいググったが、これは日出男の嘘である。虚言である。そんな歴史的な本なんて存在しない。しかしそう信じてしまうような物語の霊験のようなものが、この本にはあった。

 

 小説家はうそつきである。物語は虚構である。しかしそれに現実的な手触りのようなものを与えられるのが、彼らの文章の途轍もないところだと思う。この本にうけるべき薫陶のようなものはあまりないかもしれない。しかし超絶的なエンターテインメントだ。物語とはまず、その「おもしろさ」が大切なのだ。全三冊とかなりながい物語であるが、この物語のなかの登場人物のように、その物語に翻弄され、ついついページをおくってしまうことになる。秋の夜長というけれど、この本を読み始めたら短い夜を送ることになってしまうので、読まないほうがよいかもしれない。

アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

 
アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)

 
アラビアの夜の種族 III (角川文庫)

アラビアの夜の種族 III (角川文庫)