まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

お弁当における白米にたいする不安を払拭すべきおかずの厳選について

 目もあやなお弁当の写真がインターネットに横溢している。食事は目でたのしむ。そういった肝胆は得心がいくのだが、ときおり「これ、どうやってごはん食うんだよ」と思う眼福にあずかるごとし色彩豊かな弁当をみると、「こいつ、わかってねぇな」と思うことがある。

 

 お弁当をこしらえるにあたって、もっとも重要視しなければいけないのが、「いかに白米にたいする不安を払拭できるかどうか」だと思う。稲作の発達爾来、やはり日本人たるもの食事は米を主眼としている。しかし現代、その米をいかに幸せに食うか、はおかずの存在に頼らざるを得ない。

 

 これが自宅であれば、そんな不安はもたずにのうのうと生きていれば好い。なぜならば冷蔵庫には、きほん、納豆という白米にたいする最強の刺客を用人として抱えているからである。

 

 やはりおかずは肉だろう。過日。私は鶏肉のハンバーグを作成した。醤油、砂糖、みりんなどを煮詰めてテリヤキソースも作成したので、からめて食えば白米がはかばかしく食えてしまう。しかし、この鶏肉のハンバーグ、というか固形のおかず、というのはお弁当にたいして瑣末な不安を残す。

 

 それは、ちょっとすきまが空いてしまう、ということである。固形のおかずはその形状が融通無碍に変容するものではないため、どうしてもお弁当箱の地面がみえてしまうのである。からあげとか、ちくわとか。

 

 ではその解決方法として「葉物を敷けば好い」という解がでてくるが、これからの季節、つまり冬だが、葉物は値段が高騰していく。そんなのただのかざりである。ただのかざりに葉物を購入するならば、もう一品根菜を購入し煮物でもこしらえたほうが、生産的といえるのではないだろうか。

 

 これがしょうが焼きなどであればなにも心配はいらないぜ。だからしょうが焼きは最高。ちなみに、たとえ固形であってもハンバーグなどのタレをもっている場合は、なかなか好い感じにお弁当箱の地面が埋まるのでナイスだな、とおもう。しかもハンバーグはおかずとしても万夫不当の豪傑である。三十一歳、いうことなし。

 

 しかし冒頭分と食言してしまうが、やはり「緑」はほしい。夏はゴーヤやズッキーニが季節の野菜として奮っていたので、蓄獣の肉と一緒に炒めれば彩りもあざやかになる。しかしこの世は有為転変。冬が始まるよ。だからいまたいへんに困惑している。

 

 ブロッコリーというアフロヘアーのような野菜がある。これをオリーブオイルかなんかで鶏肉と一緒に炒めるのはなかなか美味であり、色彩も好いかんじになる素敵なアイデアではある。しかし、やはりブロッコリーは高額だ。しかもあれってどこまで食えるの? と思うことがある。包丁で切るとアフロヘアーの部分が散り散りになるし、ちょっとめんどうなヘアーである。

 

 だから私はそれこそ寝食を忘れて、お弁当の「緑」にたいする最適解を研究した。でました。その答えは「ちくわの磯辺揚げ」である。海苔の風味が豊かで、白米のともにもなるし、しかも緑だ。いうことなし。

 

 赤が欲しいときは人間の業のふかさが知られる、人為的に遺伝子を操作して、萎縮させたトマトをしようするのがベストだろう。ごはんのともにはならないが、ぜんたい的な「さっぱり感」としてこのトマトは必要枠といえるのではないだろうか。ちなみにみなさん、ミニトマト派ですか? それともプチトマト? 私はミニ派。でもモームスで好きだったのはプッチモニ。

 

 色彩を意識するのであれば、黄色をいれるとよりいっそうおしそうになる。だからやはり卵焼きというのは人類が考案した最強のたんぱく源だと思う。しかし、卵焼きの問題点は、それを甘くするか、しないか、ということだろう。我が係累は「うまければどちらでも好い」という局面にいるので、おべんとうの全体的な味の均衡を熟慮して、あまくしたり、あまくしなかったりする。

 

 さきほどから「白米白米」と申しておりますが、でもお弁当ってふりかけ類をまぶしますよね。でもやっぱそれって、白米に対する不安を払拭しようとする行為だとおもうのです。みんな白米をうまく食えるのかどうか心配なのです。だから、お弁当をつくる人は、おかずの厳選には細心の注意をはらいましょう。ちなみに私はごはんにかけるのはゆかりが最強だとおもってます。梅干はあんま好きではないなぁ。

今週のお題「お弁当」

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