まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

幸せは途切れながらも続くのです

 スピッツの曲でいちばん好きな曲を一曲挙げなければ、おまえの家族を殺す、と言われたら、脳漿をしぼってしぼって、ようやく出す答えがきっと「スピカ」だとおもう。まぁスピッツはだいたいぜんぶ好き。

 

 なぜ好きなのか。それを答えなければ人類が滅亡する、と言われたら、「まぁどうでもいいけど」と思いつつ歌詞が好きだ、と答える。タイトルの「幸せは途切れながらも続くのです」というフレーズがいつも俺の心の凪状態に一陣のやわらかな宇宙の風を吹かせてくれる。

 

 そんなこんなで今日。月曜。平日。仕合せが途切れた状態である。が、その途切れた仕合せは、また次の休日に接合するであろう。この休日も仕合せな、すばらしい日々だった。息子の成長を見ることができてうれしかった。

 

子どもの頭髪を床屋で切った

 三歳児がはじめて床屋にいった。サンキューカットというチェーン店舗の床屋である。そこにはスポーツカーの子ども専用整髪台があり、乗車して髪を切る。そのうえ眼前には液晶画面が設備され、子ども用のデジタルヴィデオディスクを放映してくれる。ということができるシステムだった。

 

 ちなみに写真は無い。息子が「手を握っていて呉れないか」と言うので、散髪中、わたしは息子の手を握りしめ、傍らにたち、「いいね!」、「かーっこいいじゃん!」などと三歳児を鼓舞していたからである。

 

 それなりに不安と緊張があったのだとおもう。しかし、息子はがんばった。ついに床屋で髪を切る、ということに成功したのである。それははじめてぱっつん以外の前髪を手に入れた、ということも意味している。われわれ家族は帰宅して赤飯を炊き、鯛を塩釜で調理し、親類にめでたいなぁ、という旨の電報を打った。

 

はじめて外出先でおしっこができた

 三十一歳にもなって、まだ外で用足しができぬのか、ということではない。はじめて外出先でおトイレできたのは、うちの三歳児のことである。私が市場で買い物をしているあいだ、「おしっこしたくなっちゃった」というので妻がトイレに連行した。そこには子ども用のちいさな立ち小便器があった。

 

 みごとにした、立派だった、と妻は随喜の涙をながしながら云った。息子の粉のようにとびだした第一声は「おしっこでーきたーよー」だった。言葉よりふれあいを求めて、つぶれてしまうのではないか、と思うくらいに強く抱きしめた。

 

 しかし、卑小な私の心にはひとつの心配があった。それは今後、息子のおトイレ事情も考えて外出を考慮しなければならなくなる、ということである。おむつの卒業は文明人としてたいせつなことなのだが、「ちょっとめんどくせぇな。ずっとオムツ穿いててくれねぇかな」と思ってしまった。俺の莫迦。ちょっと幸せが途切れた瞬間だった。

 

パパと遊びたい、と手を引かれたとき泣きそうになった

 こんな俺でも生きていていいんだな、とおもった。ふだんは私が夕食をつくるのだが、その日、息子が「ぱぱとあそびたい」と狷介固陋な意志を示したがために妻が夕食を仕度し、私が息子とブロックやトミカというミニカーで遊んだ。

 

 きっと私はいまが人生でいちばん仕合せのピークなんだろうなぁ、とおもった。これ以上はもう二度とやってこないだろう。けっして満足のいく人生ではないけれど、子どもがいてほんとうに俺は仕合せだ、とおもった。

 

 でも不思議と「明日、仕事がんばろう」とは思わなかった。できれば庭から油田でも出てきてほしいな、とおもっている。温泉でもいいかな。地位も名誉もいらない。カネだけほしい。なんて謙虚な願いなんだ。しかし、神はそんな謙遜も受け入れてくれない。だから今日も労働している。だれか俺を金持ちにして呉れ。幸せが途切れぬように。

花鳥風月

花鳥風月