まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

どうして銀座コージーコーナーを買ってくるのですか?

 関係者さまがおりましたら、もう最高潮にマックス申し訳ないのですが、って「最高潮にマックス申し訳ない」という道化じみた表現方法に謝罪の念はかんじられませんね。だうもさいやせん。

 

 過日。客先から手土産をいただいた。とっさに駅で購入したものであろう銀座コージーコーナーだった。なんで銀座コージーコーナーを買ってきてしまうんですか? と憤慨するのです。

 

 まず。その惰弱な精神がこっちゃあ気にいらずんば。はっはー、「いらずんば」って。なんやそれそれ。業腹の余剰ゆえか、ゆうちゃん文章破綻してる。もうほんとプリキュアにはがんばってほしいわ。プリプリっとね。冷色より暖色のほうが好き。

 

 手土産、というのはやはり、気配りという日本の好きか悪しきか存ぜぬが、そんな文化の象徴があるわけであって、相手を思いやるきもち、という万国共通の概念がそこにはあるわけで、その概念がなければ世界は紛争に塗れるわけだけど、いまややさしさを失った日本人。アメリカは世界のアメリカではなく一国のアメリカを目指している。グレートアメリカ。だいじょうぶかよ大統領。世界の崩壊だ。

 

 そんなわけで、手身近に、インスタントに用意した手土産に、なにかそういった文化的な香気をかんじますか? といったら、感ぜぬよね。完全に感ぜぬよね。やばない? 「つまらないもんでおますが」って、おまえついそこで買うたヤツやろ。なんでやねん。もっと湯島天神のお守りとかあったやろ。ってゆうか、そんなんガキの使いやで、ほんま。

 

 つぎに。口幅ったくもショッキングなことを申し上げます。銀座コージーコーナーおいしくないです。なんですかあのゼラチンパワー全開のプディングは。あれいくらなんですか? というか、あまりおいしくないうえに、あぁ、なんということでしょう。大容量なのです。

 

 でも人様から頂いたものは残してはいけません、と華道二級や茶道五級、小笠原作法師範代の母から教えをうけました。教えをやぶると三日間、針の莚に正座させられ、大腿筋のうえには石畳を乗せられました。目の前にはルーレットがあって「今日の罰はどれくらいかな」なんてパツパツの人工レザーを着こなした母はルーレットを回転、出た目の数だけ鞭で打擲されるのです。身を守るために何度か気絶しました。あまりの痛みに自己防衛本能がはたらいたのです。

 

 だから食べました。おいしくなかったです。つらかったです。母から受けた罰よりもしんどかったです。以前もコージーコーナーのシュークリームを食べましたが、これもたいへんな艱難辛苦を味わいました。シュークリームっておいしくなくなるんですね。すげぇや。

 

 しかし、心にわだかまる不安の澱が。つまりそれは、「みんながうまい」とおもうから銀座コージーコーナーには来客が殺到し、滅亡しないわけであって、つまりはコージーコーナーをまずい、とおもう私の舌、舌の上にあるつぶつぶの神経がおかしい、ということになりませんか? なりますよね。さういふことだらう。いやでもぜったいコンビニのプリンのほうがうまいわ。