まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

三歳児。お昼寝との戦い。

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 三歳児を扶養している。愛すべき係累である。たしょう素行の問題はあるのだが、あばたもえくぼ、色の白いは七難隠す、なんて云うように、愛する息子のことは、いっさいがっさいすべてを許してしまう。

 

 しかし、憤懣やるかたないときだってある。どうしてこんなに強情なのか。さいきん、お昼寝をしたがらない。三歳にもなればお昼寝をしない、という子がふえるだろう。しかし、覚醒してからその挙措すべてがダンス、みたいな踊り狂っている拙宅の三歳児にはお昼寝がひつようなのである。

 

 日曜。その日はお昼寝をどうしてもしなかった。朝がいつもより遅かったので、まぁいっか、と思った。だが、このときこの判断が、のちに悔悟の念をいだくことになる暗雲の始まりだとは微塵もおもっていなかった。

 

 そうして妻が、友人と茶を飲みに行く、と云い出かけた。ゆえに午(ひる)より息子とのふたりきりの濃密な時間をすごした。

 

 なかよしだった。息子と私の関係性に何人たりともはいりこむ余地はなかった。おたがいの心がぴったりと吻合していた。デュプロブロック。お外でバイクあそび。絵本読み。庭にテントを張り秘密基地ごっこ。などをして遊んだ。

 

 しかし夕刻。ふとした瞬間、息子はしずかになった。箝口結舌としていた。お昼寝しなかったがために眠たくなってしまったのだった。

 

 まさにその様相、累卵の危うき。ひとたび瞼をとじれば、どんな甘美なパスワードを駆使しても、二度と開くことはない鉄(くろがね)の電子ロックだった。

 

「おい、寝るんじゃあない。もうすぐご飯だ。しっかりしろ」

 

 私の声は届いていたのだろうか。かつてバンドをやっていたとき、客がゼロのステージで演奏をしたことがある。そのとき「俺の声はだれにもとどかない」そう思ったが、いま目の前には、俺の声が届く距離に、俺の声を届かせるべきひとがいる。恥じるな声、ためらうな声よ。自分を鼓舞した。

 

「もうすこしだ。がんばれ。闘志だ。魂を奮い立たせよ」

 

 だめだった。俺の声は、むなしく空気を震わせただけだった。

 

 もしも今、この時間に眠らせてしまえば、夜半におきてしまうかもしれない。そして息子の生活リズムは一瀉千里として瓦解する。のちにこの生活リズムのズレが、彼の人生に大いなる影響をおよぼし、人格の破綻に結びつき、重大犯罪に手を染める、などという事態になりかねない。

 

 「親からの愛を受けたことがない」そんな彼の発言は情操教育における「親の免許制度」の導入にむすびつき、子どもがうまれても免許を得られない親たちは子どもから引き離され、施設に入れられた子どもたちは不慮の事故の名のもとに存在を抹消され、秘密裏に高額で取引される。そうして子どもたちはすごい特殊訓練をうけ、国際テロ集団「NINJA」として世界で暗躍する。やばい。世界が乱れる。

 

 俺はいま彼を寝かせるわけにはいかない。一種の使命だった。「俺がこの世界をすくう」そう思った。だから私は緊急電話で大統領にテルし「判断してくれ大統領!」と切迫した声で愁訴した。そうして最後の手段を講じた。

 

 テレビをつける。最強のストラテジーだった。テレビというのは画面が発光しており、明滅するその液晶画面からは脳を刺激するアルファー波みたいな名前の波動が放出されている。これが彼の大脳を攻撃せしめ、眠りにつこうとする部分をゆさぶり起こすのだ。

 

 この作戦は大成功だった。あと二秒、大統領の判断がおそければ息子は眠りにおち、世界は滅びていただろう。アマゾンプライムでジュオウジャーの映画をみて、ブリッピーという毛唐の男が恥じらいもなく踊る動画をみた。

 

 そのあいだにチキンをグリルし、飯を茶碗によそい、しこんでいた野菜スープと大根を煮たの、レタスサラダを用意した。息子は鶏肉が好き。とっても経済的ですね。妻が帰宅し、みんなで風呂に入って、床についた。もちろん息子は早く寝付いたので俺はウイスキーを痛飲し、妻に「今日は世界をすくった」という報告をした。