まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ナチュラルすぎる女性のほめかた

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 息子のかよう保育園に、あやな先生という保育士の御仁がいらっしゃる。小柄の細身で、シマリスのような愛らしい風貌をまとった、太陽のごとき笑顔を放つ女性である。

 

 過日。朝方。息子はあやな先生に「あ、これかわいいじゃん」と云った。あやな先生が新しいエプロンを装備していたのである。下ろし立てのエプロンに気がついた息子は、なによりもまず「あ、これかわいいじゃん」という称揚を唇からすべりだした。私は「わお。こいつマジかよ」とびびった。三歳児にして女性のほめかたがナチュラルすぎるのである。

 

 世の殿方は粉骨砕身、いかに女性にもてようと刻苦勉励している。しかし、そういうふうな殿方が努力するのは、まずそもそももてないからである。じっさい問題、もてる殿方というのは努力もせずにもててしまう。もちろん顔面の良、不良というものもあるが、私はこういうことなのかもしれないな、とおもった。

 

 つまり、いかに女性のハートをキャッチできるか、ということである。息子の口車にのったあやな先生もまんざらでもない様子で「かわいいでしょう」と雷同をさそう言をもらした。ふたりのあいだだけに、春が、芽吹いているようだった。

 

 いかに女性を口説き落とすか、みたいな小手先のテクニックが横溢している。それはおもに「ほめる」というテクニックである。がしかし、こうも恬然と女性に賛美をおくれるものなら苦労はしない。すこしでもそこに忸怩が含まれれば益体も無い話しである。

 

 これは天稟であるとおもう。私もなんどかそのような生得的な男子をみたことがある。女性にたいし、ふいにふたりだけの空気を作り上げ、ひともなげに女性の装備品に目を注ぎ「あ、これかわいいじゃん」などとぬかす男子である。すげぇよ、誠一。おれが隣にいるのに。

 

 だからといってあきらめるのにはまだはやい。三歳の息子と同窓生の誠一くんから学問したことがある。聞きたいですか? 知りたいですか? では申し候。とにかく反射的に「これ、かわいいじゃん」と云えば好い、ということである。

 

 女性をほめる、という点に重きをおいてしまうからナチュラルにほめることができぬのであって、女性とエンカウントしたばあい、くちを衝いて「これ、かわいいじゃん」と出すようにすれば、回数をかさねた「これ、かわいいじゃん」は研鑽され、唇から転げおちるがごとく女性をほめそやすことができる。かわいいものはあとで適当に見つければ好い。 おれは天才かもしれない。

 

 義を見てせざるは勇無きなり。そういうことでさっそく、その晩。妻を誉めそやそうとおもった。褒めてまんざらでもない気にさせて、風呂の洗浄をゆだねよう、と謀ったのである。

 

 妻はもやしを洗っていた。もやしとわかめのナムルの製作段階だった。これは困ったことですよ。だってもし今ここで「これ、かわいいじゃん」と云ったらどうなるだろうか。きっと放たれた「これ、かわいいじゃん」はもやしに向けられたものと妻は思うだろう。そのとき妻はどうかんじるのか。「なんてこった。もやしをかわいいと思う愚劣な男と婚姻を結んでしまった。どうしよう」と憂慮するにちがいない。

 

 これではいけない。妻のきぶんを好くしようとおもって云った「これ、かわいいじゃん」のせいで最悪、妻の胸裏には「離婚」の二文字がうかんでくるだろう。良かれとおもってやったことが裏目にでる。私の人生はいつもこうだ。

 

 しかし、もしかしたら妻は存外、「もやしをかわいい」とおもっているかもしれない。でも世間の目を憚って「もやしをかわいい」と云えない。だって「もやしをかわいい」と思うのは狂人の考えだからだ。そんなもどかしい思いを抱いているかもしれない。そのときに私が「もやしかわいい」発言をしたらどうなるだろうか。もちろん意気投合。肝胆相照らしちゃって夫婦の絆はより堅牢なものとなる。

 

 これだよ。これ。ナチュラルにほめるとこういった好い感じのことが発生するんだよ。ポジティブだよ。ポジティブ。いけるいける。とおもっていたら、もやしとわかめのナムルが完成し、私の眼前に配膳された。それはごま油が馥郁として薫り、てらてらと輝くなか、炒りごまが星屑のように散らばった、なんとも愛らしい完全完璧にキュートなもやしとわかめのナムルだった。おもわず私の口から「これ、かわいいじゃん」。もやしにもてた。