まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

映画レッドタートルを観た感想

 この映画の感想をかくとなんだか「意識が高いヤツ」みたいな印象をあたえてしまうかもしれない。でも、おれはぜんぜん意識高くない。きほんマヨネーズがかかっていればなんでもうまい。

 

 世の中には「説明のできるおもしろい」と「説明のできないおもしろい」があるとおもっている。バックトゥザフューチャーなんかは前者で、口吻熱く「ここがおもしれぇんだよ!」と刻をわすれて語ることができるだろう。しかし、このレッドタートルは後者のほうじゃないのかな、とおもう。きっと感想は「なんか、よかった」。

 

 この「説明のできないおもしろい」も分派する。「ただ感じるもの」と「説明はできるけど、その説明をしてしまったら陳腐になる」というものになる。個人的にそうおもっている。

 

 レッドタートルはその複合的なもので「説明しようとおもえばなんとなく漠としてできるけど、ただ感じる部分がおおいので、そういったことはしないほうがいいんじゃないかな」という部類にわけられるのではないかな、とおもう。個人的に。

 

 ということは、おれがこのレッドタートルの感想をかくということは前段落に食言してしまう。だが、ひさしぶりに映画にみて、ひどく画面に惹きつけられてしまったので、それはなぜだろう? という自問自答をふくめ感想をかきたいな、とおもった。

 

 まずおれが世間的な映画におもっていることなんだが、SNSに感想をかく、という痴態が横溢している。このブログもおれの痴態そのもの。そのせいか、物語に「おもしろい説明を発掘しようとしすぎている」のではないかな、なんておもっている。

 

 頃日。ジブリのポニョが放送されたが、みんな物語に意味をもたせようと勇躍しすぎているようにかんじた。「あれは母なる海の象徴性を…」と粉骨砕身、深く隠れた抽象性を掘りおこし、ひっぱりあげ、たかだかと掲げ「これをみつけたおれは物語をわかっている」と叫ぶ。かくいうおれも当時映画館で鑑賞し妻に「これはああいう意味なんだよきっと!」と云っていた。とても熱いおとこだった。

 

 しかし、これはすばらしいことだとおもう。そのひとのもっている知識や感受性をフル稼働させ、物語に意味をもたせる。物語にとってこれいじょうの僥倖はないだろう。しかし、理のよって感情でうけるべきものを妨げられてしまうのは非常にもったいないことではないか? というのが三十一年という馬齢を重ねたおれの答えだ。

 

 そういった意味でレッドタートルの感想は「なんか、よかった」とおもうだけで好いのではないだろうか。むろん、ひとの感想というのはなんでもアリだとおもう。感じたことに間違いはないのだから。しかし、「なんでこれがおもしろいの? 400字詰め原稿用紙二枚をつかって説明せよ」と云ってくるふらちな御仁もいる。そのばあい「なんか、よかった」ではつうようしないので、とりあえず「エモいから」と云っておけば好いでしょう。

 

 レッドタートルにネタバレもクソもないとおもっているので、内容をがんがん書く。もし「マヨネーズをかければだいたいのものがうまいとおもう男のブログでネタバレしたくない」とおもうのであれば、ここで去ってほしい。また戻ってきてね、とだけ付け加えておきたい。

 

 レッドタートルを起承転結でむりやり区切ろうとするならば、亀が女になるところが「転」であろう。じつに不条理だ。合理性をもとめるひとびとは「意味わかんねぇし」でこの物語さげすむだろう。まぁ、おれもわけわかんねぇとおもう。

 

 きっとこの場面に意味をもたせようとおもえばできる。男は亀を殺した罪悪感で自害。意識だけが空想を敷衍していったのが、このレッドタートルの後半であり、それはにんげんのもつ「愛」への飢渇。こころを潤沢とするのは、うつくしい風景でも飽食でもなく、ひとの愛である。ゆえに、亀が女になったという想像上の物語が進行していくのでは? なんて云える。あとはだいたい「ぜんぶ宇宙人のせい」でも片付く。

 

 おれはこの部分の説明、なんでもいいんじゃねぇか、とおもっている。説明なんて個人がかってに思っていればいい。ただ、この不条理感、「なんなんだ」という異物感によってレッドタートルを飽くことなく観賞できた、というぶぶんがある。それだけで好いとおもう。カフカも「なんで虫になっとんねん」で物理的なことわりを求めていたら、はなしすすまないじゃん。まぁ「ぜんぶ宇宙人のせい」で片付きますが。

 

 そういえば、おれの好きな作家に古川日出男というひとがいる。その著書「ベルカ吠えないのか」で「この物語がフィクションであることはおれも認める。だがこの世の中にフィクション以外なにがあるっていうんだ」みたいなことが書いてあった。物語とは、ってゆうか世の中とはそういうものだとおもう。

 

 世の中、専門家のおかげで作品の説明が澎湃としている。だが専門家の云うことがすべてその作品の魅力か、といったらそうではないとおもう。筆の使い方を知らないひとだって絵画をうつくしいとおもう。ピアノが弾けなくても音楽をたのしいとおもう。ことばに意味が見いだせなくても詩の世界に叙情性をかんじるだろう。

 

 そういった「理由のないうつくしさ」があったようにおもう。むろん、映像のうつくしさはあった。鉛色に染まった大海の恐怖や、とうめいな陽光にかざされた浅瀬の清澄、月がおとす闇色。そういったたくさんの空気の色がうつくしかった。

 

 レッドタートルのおもしろさは、映画という弩派手なコンテンツにたいして、絵画や、音楽や、詩のような原初的なニュアンスを帯びているのではないかな、とおもった。作品の解説や仔細なギミックに意味を見出すのも映画の醍醐味であるが、こういった「なんか、よかった」で、ほんらい創作物のもつ核のようなものに触れられるのも好いんじゃないかな、なんておもった作品だった。

レッドタートル ある島の物語 [DVD]

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