風呂から上がり、からだの水気をタオルで吸ったあと、引き戸を開けて、「わわわわ~、シロちゃんです! んもぅ! 色違い!」というのをやるのだけれど、これがちっとも妻にうけない。おれがわるいのか、シロちゃんがわるいのか。
それにくらべて妻はおれのつぼだ。たぶん世の中の女性芸人よりもおもしろい。圧倒的雲壌の差をもってして諧謔味に満ちている。妻のフランス人のモノマネ、超おもしろい。でもたぶんマキシマムザホルモンのナヲねぇさんのほうがおもしろい。妻も「あいつには負ける」と言っていた。川北遺伝子やばい。
我が家では口にはださないが暗黙の序列がある。学歴とか、収入とか、家事をやるとか、知識とか教養とか、まったく関係ない。ただおもしろいやつがいちばんえらい。笑いをとれるやつがいちばんすごい。その能力で家庭内での身分がきまる。
さいきん、三歳児がめきめきと頭角をあらわしてきた。今日の朝とつぜん「絶対漏れたくない夜にー!」と言い出した。
おそらくなんだが、女性用生理用品の広告である。「それどこでおぼえたの?」と訊くと、「ともこせんせーがいってた」という。まさか。そんなこと、いいますか? 保育園の先生が? 言わないでしょ(笑)。もしも言ってたとしたら、ともこ先生はかなりの精神異常者である。グレイトサイコパス。やばいやつじゃん。
こうなってくると立つ瀬が無いのがおれである。くるしい。つらい。おれに家庭内での居場所がない。辛苦。しんどい。もっとおもしろいことを言わなくてはいけない。そうおもう。そうおもうたび名伏し難い焦燥感が胸の奥より沸き起こり、ことばのチョイスを誤らせる。やっべっぞ。しまったこれはクソつまらないやつだった!! 文字におこしてもクソ恥ずかしい!!
うちは教育方針とかとくにない。妻は「大学は金がかかるから高卒ではたらいてくんねーかな」と言っていた。たぶんマジ。マジにおもっている。すごい。この時代にそういうこと言う。ロックだ。たしかに、リーマンショック直撃世代のおれたちは就職に難儀した。
おれも、勉強はできなくてもいいかな、とおもっている。でもたぶん妻とおれの子どもだから中学くらいまでの勉強なら苦労はしないだろう。さらにいえば、卒業することが逆に重い桎梏になってしまうような大学って、ままある。
正直にいえば、おれは知育ということばが死ぬほどきらいだ。知育をしている親たちはえらいな、とおもう。ただ、おもちゃ売り場などで「こどもの想像力を育む」とか「○歳からの英語教育」みたいな知育ふうなものを散見すると、子どもの発育における親の不安を刺激されているようで、まァそれがマーケティングなんだろうけど、「おまえらの口車に乗せられてたまるか!」とおもいつつ、購入してしまう。ひとの心は不思議ですね。
ただ、ひとつ願いをいえば「おもしろいひと」になってほしいな、とはおもう。生きているとつらいことのほうがおおい。太宰も言ってた。地獄ですよ。兎角に人の世は住みにくい。それは夏目か。そんな世界でも笑っていられることがおおいと、地獄のすごし方もけっこうちがってくるものだとおもう。おっと、真面目な方向にブログがむかっている。
でも「おもしろいひと」になるのはむずかしい。感動させる、泣かせる、喜ばせる、おこらせる。それらよりも、笑わせることがいちばん難易度高い。おれが身をもって知っている。おもしろいやつ超すごい。
だからせめて「おもしろいことを発見できるひと」にはなってほしいな、なんて願っている。勉強ができるよりもそっちのほうが大事だとおもうな。じゃあ、それにはなにが大事かな? とかんがえると、やっぱ古典を知っていることとかに繋がってくるんじゃないかな、なんておもう。世の名はいろんなオマージュに満ちている。ひとが一生で生み出せる発想はすこししかないけど、知識はつめこめるじゃんね。いろんなことを知っている、ということは、いろんなおもしろいものを発見できる可能性がある、ということだとおもうな。
なんだか熱く教育論を語ってしまった。おれなんかがひとを教育できるなんておもっていないけど、たのしく、おもしろく生きていけるようにしてあげたい。キミのハートにレボリューション! そんなことをおもってしまったんだ。