まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

恐竜って子どもがはじめて歴史をかんじる瞬間なのでは

 ジャイロ効果で移動中、っていうと不思議パワーで移動してるみたいですが、ただ自転車をこいでいたんですよ。そんなジャイロってるさいちゅう、背後の三歳児が「おれ、きょうりゅうが好き」などとたわけたことをぬかす。

 

 教育には興味がないけれど、親としてはそういうのしなきゃならんでしょ? 義務なんだけっけ? クソ食らえだな! なんて思ったけれども、しゃあねぇや、つって不承不承に図鑑を購入した。貧に窮する拙宅に二千円はとてつもない経済的ダメージであった。

 

 しかし、「図鑑を読む=だまる=親がゆっくりできる」という公式が脳裡にたちのぼり、こいつぁいいぜ、ってなぐあいに人生が円滑になるとおもったのだけれども、「おれは未就学児で字が読めなんだ」など驕慢な態度でいるものだから、けっきょくおれは頃日、たくさんのカタカナを読んでいる。パキケファロサウルス。ヴェロキラプトル。フルフルラビットタンクボトル。

 

 それだけならよかったのだけど、三歳児が「恐竜が見たい」なんて言い出しやがった。おや? ずいぶんと恐竜に汲々としているようだね? しまいには慟哭しはじめるので、オッケーわかった。博物館に行こう。つって上野という東京の台東区にいった。

 

 そこには国立科学博物館という施設がある。高校生までは無料、という豪放磊落、寛仁大度な制度をりようし、三歳児はなかを無料で見学させていただいた。大人は620円。大人はべんきょうするのにお金がかかります。世知辛いですね。

 

 恐竜の展示スペースはあまりおおきいものではなかった。けれども実寸大の骨はその巨大な影をおれたちに落とした。太古のきせきを目の当たりにした三歳児はどうおもったのだろう。ほんにんは「たのしかった」と言っていたが、もうすこし大きくなればもっと楽しめるかもしれない。

 

 どうして恐竜が好きなのだろう? むろん動物も好きなのだけれど、恐竜のほうにご乱心めされているようである。おれはなんとなく「歴史の浪漫だな」とおもった。

 

 ようやくさいきん、三歳児は「いつ」という概念を理解してきた。「いつ」というのが伝わらないのはなんとも歯がゆかった。「いつたべたの?」「うん、たべたよ!」だから、いつだよッ!? みたいなかんじになるんすよ。コミュ障かよ。

 

 そんな三歳児も昨日、今日、明日。つまりパスト、プレゼン、エンドフューチャーがわかるようになった。そのパストの部分、積み重なってきた(とおれの脳は錯覚している)年月の最果てに、古代の風を受けていた超巨大生物がいる! という事実(と歴史は語っている)は、三歳児の手におさまっていた時間的概念を超越せしめ、この地球の胎動をかんじさせるのではないか!? それって超浪漫じゃん! やばくね!? みたいなことをおもったんですよ。カッコと句点がおおくて読みにくいでしょ? そうなっちゃったんだもん。

 

 ひとはそうして歴史を知り、己を知ろうとする。己の立っている現在から「見えないものを見よう」とするバンプパワーで空想を敷衍させていく。それは宿命的に二重螺旋に組み込まれている。この惑星の素材から形成された人体には、それを知るようにと刻まれているにちがいない! 人体の原初である三歳児から、そう教授していただいた。

 

 まぁ事実そんなことはなくて、「でかくて、つよくて、やばい」という三拍子が三歳児を恐竜にちんめんさせたんでしょう。たんじゅんですね。

 

 ちなみに360度シアターというところで、たまたま恐竜と宇宙についてが上映されていた。すげーおもしろかった。そしたら三歳児、こんだぁ「うちゅう好き」とか言い出す。たぶんフォーゼも熱に之繞をかけた。また図鑑買うのか…。

 

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