まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

カラオケの森

 ピアノの森というコミックを数巻ほど、ちらと拝読したことがある。現在完了文。

 

 そのストーリーのなかで、主人公のカイという少年は、森に違法投棄されたピアノを弾く。この違法投棄されたピアノは誰でも弾けるピアノではない。じつは鍵盤が激烈に重く、堂に入ったピアニストであっても音をだすことが困難、というちょっと呪われた、いわくつきのピアノなのである。

 

 しかし、カイは逆に通常のピアノを弾くことができない。できないというか、激烈に重い鍵盤で慣れ親しんだ、その超人的指の筋力をもってして鍵盤をたたくため、つよいタッチによって音が騒音となりはててしまうのである。

 

 わかるなぁ、とおもう。じつは小生、バンド活動などという反社会的活動をしていたさい、歌うたい、というポジションを担っていたのである。しかも騒音たるロックミュージックである。

 

  ロックバンドのスタジオというのはうるさい。まぁジャンルによるだろうけど。ちなみにうるさいというのは「ちょっとベースのフレーズ、アボイドあたってスケールアウトしてる」とか「スネアの音階が曲のキーにそぐわない」とか「お醤油が濃すぎて食えたもんじゃない」とか、そういう意味ではなく、「世界が割れるような騒音が充溢している」という意味である。

 

 ゆえに、声の張り上げもおおきくなる。叫びにちかくなる。まぁマイクのボリュームをあげるなどをするけれど、そうすると他の楽器もボリュームをあげ、騒音VS騒音という終わりのない軍事力競争がはじまる。戦争ってこうしてはじまる。

 

 そんなスタジオ擦れした小生、カラオケで歌うと「うるさい」とよく注意勧告をうける。しまいには「マイクつかわないで」という提案のふりをした強制的排除がおこなわれる。カラオケでマイク使わないなんて情緒がでないじゃんね。ほんと人情味に欠けます。

 

 だからというか、蓋然的にというか、ノドがよく嗄れていた。よってノドのケアにかんしてはひとの五億倍気を遣っていた。数年にわたる声の消耗によりだしたこたえは「常時ノドをうるおす」というポイントである。

 

 ノド飴というのも良いだろう。しかし、けっきょく最強なのは水である。お茶はいけない。ノドのあぶらを流してしまうため嗄れやすくなる。マスクをして水を飲み続ける、というのがもっともベストであり、これなら連日のライブ、シオンのように嗄れていた声でも三十分のステージをこなすことができる。

 

 その癖が日常に沁み付いてしまっているのだろう。小生のバッグのなかには、いつも水がはいっている。というかつねに水分を持ち歩いている。

 

 先日。妻に「また水ちょっと残してる」と言われた。意図的である。もうやっていないバンド活動時のクセ、というか水がなくなることが恐怖で、ペットボトルの飲料をすこし残してもちあるく、という因果な所業を、意図的なのだけど、潜在的な恐怖にもとづいておこなっている。

 

 だから小生のカバンにはいつも水がはいっているんですよ。これないと不安でしょうがないんです。なくなったら癇癪をおこしてしまうのです。と妻に釈明したら、「おまえ飛行機のれねぇな」と言われました。ぼくはもうこの国からでません。

 

今週のお題「カバンの中身」

ピアノの森(1) (モーニングコミックス)

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