まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

クリームソーダ

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 問題。ジャジャン。いま話題のハッピーグルメ弁当といえば? チックタックチックタック「…どんどん?」ピンポンピンポンポピンポーン。という一連の流れ、いわば形式、いわば伝統芸能を、静岡(サイレントヒル)に住んでいる、もしく住んでいたひとならば、絶対にわかるとおもうので、まわりに静岡人(サイレントヒラー)がいたら、ぜひためしてみてほしい。

 

 おれはそんな静岡属性をおびている。だがそんなに静岡に思い出はない。おれは過去にこだわらない。さっぱりした男だ。イカす。だが中二のときに盗まれた「ヴァルキリープロファイル」と「アストロノーカ」のプレステソフトのことは一生忘れない。おい牧田。犯人はおまえだって知ってる。

 

 おれは過去のない男。ふっ…。殺しのライセンスを持つ男。なんてわけもなく、あまり記憶力がよくないだけである。あたまがわるいだけ。ただ、なにかの拍子に思い出すことはある。おれはクリームソーダに、母をおもいだす。

 

 貧窮にからまれた生活だった。母子家庭というやつで、離婚した因果である。なんのためなのか事由は不鮮明だが、平日の昼間。母とおれは市役所に行くことがままにあった。

 

 母は接客業なので、平日しか休みがなかった。おもに水曜だった。保育園のころとかは園をさぼって一緒に市役所に行った。場所でいう、いまの葵区役所だ。

 

 そこの上階に、喫茶店があった。母とおれは市役所での用件がすむと、そこでお茶をした。平日の喫茶店はひともまばらで、おれたちはよく窓際の席をえらんですわった。

 

 静岡の市内が一望できる。明媚である。いまでは大廈高楼の市内であるが、当時はまだ高楼がすくなかった。そんな記憶がある。ミニチュアサイズの家屋が櫛比しており、その向こうには空色がすきとおった秀峰富士がそびえていた。太平洋から吹きつけるあたたかな暖気が、街のふんいきをすこし霞がけていた。

 

 母はコーヒー、おれはクリームソーダを誂えてもらった。画に描いたようなクリームソーダだった。三角錐型のグラスにすみきった鮮緑の液体は、はじける炭酸を抑えきれぬのか、落ち着き無く水中から気泡をはなっていた。その気泡は、ときに浮かぶ氷を動かし、水面に逃げ出そうとする。が、ふっふっふ…。あまいな。ってあまいのはその先に待つバニラアイスであり、まるで冬の星空のようにちりばめられたバニラビーンズをふくんだ白皙、そのアイスボックスからだされたばかりの毛羽立った断面は、冷気をただよわせ、文字通り紅一点のシロップ漬けされたさくらんぼが、超可憐にちょこんと鮮烈な赤をほとばしらせていた。

 

 母はよく「ふたりで生きていかなきゃだから」といった。おれは「うん」といった。二十五歳と五歳、ふたりで生きようとおもった。そんな母のやわらかな声のなかに、硬い芯のような意志をかんじたのを覚えている。飲み終わったクリームソーダのグラスには、アイスと炭酸が化学反応をおこした澱のあとがのこっていた。

 

 おれの息子は三歳で、コメダコーヒーでクリームソーダをのむ。そのたび、母とふたり、しゃべる話題もなく、だまってストローを噛みながら、街の眺望をみていたことをおもいだす。おれと母は無敵だった。どんな家族よりも絆があった。ふたりで生きていくという意志だった。たとえどんなに時間を共にできる家族よりも強烈な光をはなっていた。

 

 しかし意志は消費されていく。クリームソーダのように飲み終わってしまう。おれはもう静岡にいない。妻と子と三人で武州の地に居をかまえた。だが、あのときの意志は、おれの身体髪膚に澱となってこびりついている。おれがいつまでも家族と生きていたいと願うのは、母とクリームソーダのせいなのだとおもう。

 

今週のお題「おかあさん」