椎名林檎のトリビュートがでたので聴いた。トリビュートというのは原曲を知っていて親近感があるだけに、不和もおぼえてしまうので、バンドやその歌手の力量が如実にあらわれるとおもう。
さいきんエレカシのやつとかもけっこう聴いたけど、すげぇな、とおもうのもいれば、やっぱクソだな、とおもうものもあった。だからトリビュートっておもしろい。
正しい街
草野マサムネが歌ってしまえば、その曲はマサムネになってしまう。これは椎名林檎にもいえることだとおもう。林檎のカバー集めっちゃよかったし。そしてなにより彼らは作曲者としても聖人的な眷属であり、彼らの曲は、そのボーカルを惑星にして、従属的な衛星としてのアレンジを、なかば必然的に配置されるのだとかんじる。
マサムネのボーカルはとても好きだ。かすれた、透明でやわらかな風のような声は、儚く、無邪気でありながら、歌い終わりのに蠱惑的なオーラをのこしていく。たいして椎名林檎のボーカルには、エンタメ性が充溢している。また音楽家として劫を経るたびに、応じた歌声を演じている。マサムネは曲中でも私生活でもマサムネなのに、林檎は曲によっての椎名林檎を演じている。
「正しい街」は、そんなマサムネのマサムネ感が強かった。それはサビのなかのメジャー感で爆発していた。Aメロにおけるミニマルなマイナー調のなかでは、椎名林檎の厭世的でデカダンな曲調、またはその歌唱方法が強烈なインパクトをのこすがため、あまり合っていないようにかんじた。正直な感想。でもマサムネはファナティックに好き。
ギターはアジカンの人だったとおもうけれど、とくいのオクターヴ奏法が顕著だった。原曲はシングルコイルのギターっぽいくて最低限のパーツをはめ込むような演奏だったけど、ウラシマズはレスポール風の音色で、間断無くギターを弾いていたようにかんじた。
ドラムはむずかしいとおもう。ミスチルのジェン氏なのだが、かれは切れがよく、タイトで締まりのあるドラムを叩くなぁとおもう。ハイハットのクローズオープンにそれが如才なく光っており、ミスチルの曲のみずみずしさを担っているのだとおもう。しかし、原曲のカースケ氏のドラムは鷹揚で、ぜんたいを包み込むようなグルーヴ感があり、ジェン氏とは対極的であるとおもう。
「正しい街」はシンコペーションが水際立っている曲だとおもうのだけれど、ウラシマズのはその切れのよいドラムのおかげか、つっこみ気味にかんじる。こんな曲だっけかな? とおもい、原曲も聴いたのだけれど、やはりカースケドラムのシンコペは後ろ目で、おおきな空気感を演出している。ベースは、ラスサビの代理コードぽいコードの当て方がかっけぇな! とおもったら原曲でもやっていたので、とくに言うことありません。
だからウラシマズのすげぇところは、原曲の真逆の演奏をしているところであるとおもう。なにより個人が光っている。そして曲も活きている。すげぇ、とおもった。やばい。文章がながくなった。
丸の内サディスティック
宇多田と、小袋成彬という人がやったらしい。なんとなく島津斉彬が思い出されますね。どうでもいいです。
世界でいちばんカバーされているのはビートルズのイエスタデイらしいが、日本でけっこうカバーされている曲は「丸の内サディスティック」だとおもう。だから宇多田がカバーする! と息巻いても、既存のカバーみたいなんだろうな、とおもっていたところ、そんなノンコード感のなかで歌い始める? みたいな宇多田ヒカルの意表の突きかたであった。やっぱこいつすげぇとおもった。
原曲の基盤はピアノ、ベース、ドラムなのだが、これに楽器をくわえようとおもえば、安易にアレンジできるだろう。しかし、そこは楽曲へのリスペクトなのか、宇多田と斉彬もその最低限の楽器という基盤をこわさず、あまつさえ、いままでだれもやったことないようなカバーの仕方をしていて、このひとたち天才だわ、とおもった。意外なのは成彬のボーカルで、けっこうパンチあった。R&Bっぽいからあんま好みではないけれど。
幸福論
レキシという人はさまぁ~ずの三村に似ている。ゆえに「これレキシだってよ」と妻に言うと、「あぁ三村ね」という返答がくる。どうでもいい。
八十年代のディスコチックなシンセサウンドにつつまれた「幸福論」は、テンポ的にはシングルバージョンに近いとおもうが、その原曲のロリータで毒気のある少女的な空気感とはちがった、大人びたネオンの光る「幸福論」となっていたとおもう。
すなわち、シングルの「幸福論」は少女趣味期、アルバムの幸福論はバンギャ期、そしてレキシの幸福論はいけてるOL期、のように段階を経られるのではないか、なんて考えたり考えなかったりした。
シドと白昼夢
MIKAという毛唐が歌っているのだけれど、まぁかっこよかった。なんかしらないけどジムノペディから始まった。なんでや。ボサノバ調でファルセットがきれいだとおもった。椎名林檎のメロディの強さをおもしった。
茜さす 帰路照らされど…
イントロがサイケで、おっ、っとおもった。藤原さくら、という歌手のネーミングからしてアコースティックなかんじだと予想していたからだ。裏切られた。リバース加工のなかの、音のあたったピアノに壊滅的な印象をうけた。おもしろかった。
ここでキスして。
曲はイントロで「おっ」とおもわせねばならない。そうおもう。その点で小林武士というプロデューサーはすごいとおもう。ここでは関係ないけど。
そいでこの「ここでキスして。」のイントロは、ピアノのさりげなく入れてきたクリシェ、半音に「おっ」となった。調べてみると伊澤一葉。得心のジャジーさだった。シックスス、ナインス、イレブンス、レッドサーティーンス。特に意味はありません。
木村カエラの声は溌剌としていて好きだ。原曲の「ここキス」って、はは、この略称むかつくな。で、ここキスは、椎名林檎の焦燥感が、沛然たる雨のようにふりそそぐ。が、木村カエラのここキスは、その伸びやかでまっすぐな、嫌味のない歌声によって、曲の空気感がコペ転して、多幸感がふりそそいでいた。木村カエラはよいボーカルだとおもう。
ありきたりな女
いまのところ順番で書いているけれど、松たか子もいいボーカルだとおもう。あーした、春がきたらー、って松たか子の声めっちゃ好き。「ありきたりな女」は椎名林檎のショー劇場的要素があるとおものだけれど、松たか子も演劇のひとなのですごくマッチしていたとおもう。
罪と罰 カーネーション
おれは、まったくR&Bというジャンルに明るくないのだけれど、AIという人の歌を聴くとニーナシモンをおもいだす。「罪と罰」よかった。「カーネーション」は「どうも、井上陽水です」みたいなかんじだった。神無月がでてくるのなんとかしてほしい。このへんはなんとなく聴いてしまったかもしれない。いや序盤でけっこうおなかいっぱいだし。
NIPPON
正味なところ、バンドアレンジで「NIPPON」をやるのは勇気じゃねぇのか。ってゆうのは、原曲が錚錚たる面子だからである。なんたってギターが生形くん、もうひとりのギターが、おれが生まれ変わったら転生したい名越様。で、PVではドラムが玉田豊夢で、ベースも山口寛雄なんだけど、ウィキペによると、レコーディングはドラムがカースケ氏で、ベースが渡辺等氏らしい。なんでや。
どちらにしても、とにかくすごい面子だとおもう。しかし、このバンドメンバーで埋もれないのが椎名林檎というスター性ではないか、とおれはおもう。強風暴風を超越した、その嵐たる颶風のなかでも倒れることのない旗のような、強い意志の力ときらり光る絶対的個性が椎名林檎の歌にはある。
東京事変で浮雲と命名された長岡亮介という天才ギタリストがいるが、おれは東京事変のあのギターが苦手だ。なぜなら、あんな変態的なギターは椎名林檎というバックでないと成立しないとおもうからである。比較的スケーリーでクリーンサウンドなのに、そんな音の組み合わせおもいついてもやります? みたいなところがある。特異すぎて参考にならない。しかし、彼はやってしまう。それは長岡亮介のフレージングの妙もあるが、やはり椎名林檎のバックだから、東京事変だから、そんな面妖なフレーズが可能なのだと推察する。
よってLiSAというひとにはなんの罪もない。バンド系歌謡曲のひとなのだろう。歌はうまいとおもう。
総括
まとめだけれど、椎名林檎はすごいひとだとおもう。たいへん小学生な感想であるが、世紀末に現れたサブカルインディーアンダーグラウンドな少女は、その才覚によって、いまや日本の音楽家のすべてが見上げる、宇宙に穿たれた輝く星座のような、神話的存在となってしまったとおもう。
今回のトリビュートアルバムも、どんなにすごいアレンジをもってきても、椎名林檎にはやはり勝てねぇってのは、だれしもが納得する結句なんじゃないのかしら。とてもよいアルバムでした。