まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

マタニティマークへの猜疑

 帰宅の途。電車に乗り込んできた女性がいた。小柄で中肉。どこか仄暗い、杳としたふんいきを帯びた女性である。しかし、なによりもまず目を引いたのは鞄にぶらさがったマタニティマークであった。

 

 おれはつねに電車で「おれに座らせろ」とおもっている。なぜなら狸寝入りや、そ知らぬふりすることなく、席を明け渡すことができる勇気をもっているからだ。よって、席を辞そうとおもったのだが、ちょっと逡巡。なぜなら数ヶ月前、この同じ女性に席をゆずったことがあったからだ。

 

 一瞬の隙をみせてしまったおれを尻目に、となりの席のひとが女性に席をゆずった。あちゃー後顧の憂い、とおもうことはおもったが、それよりもなによりも、以前にこの人に席を明け渡したのは、いったいいつだったろうか? と記憶の抽斗をさぐっている自分がいたのである。

 

 おそらく三ヶ月以上前である。たしかまだ外套を羽織っていた時期だった。しかし、それにしては腹出てねぇな、とおもった。そして、そのちいさないぶかしい疑惑は、雪だるま方式をとって、おおきな猜疑心へと成長していったである。

 

 前にこのひとと出遭ったときが妊娠一ヶ月であれば、いまはだいたい四、五ヶ月だろう。家人がその時期だったときはどれほどの膨れぐあいだったろうか。けっこうでかかったような。でもひとによって嬰児の成長度合いもちがうだろう。あまり成長せぬ子なのか。もしくは三日月のような痩身であれば妊娠は外見上わからないこともある、と風に聞いた。いやしかし、この隣の女性は小柄ではあるが、中肉である。どういうこっちゃねん。

 

 あまり目を注ぐとセクシャルハラスメントの十字架を背負うことになるが、視界の端に女性の腹をいれてみた。すると、見えない。見えない見えない世界が。世界が最高にしか見えない。というのは友人のバンドが書いた叙述的レトリックリリックであるが、はは、一本取られたわ。ってのは余談であって、腹のうえに鞄を置いていたので、腹のふくれ具合が判然としなかったのである。

 

 膝のうえに荷物をおく、というかんじではなく、袈裟懸けの鞄の紐を調整し、ちょうど腹のうえにくるように設定してある、といったニュアンスであった。こ、これは腹を隠蔽しているのでは…!? とおもった瞬間、おれはおれ自身のこころの汚さに絶望した。おれは、母になるにんげんの子を思う慈愛に満ちた気持ちをも疑うような、そんな卑屈なにんげんになってしまったのか。おれのばか。にんげんのくず。

 

 夜陰にまぎれ拙宅に帰還し、妻にことのあらましをしゃべった。すると妻は「マタニティマークはピンクのハートだった?」などと事情聴取をする。ああ、おれのこころの汚さを事務的な質問で責めないでくれ。君だけはおれの味方でいてくれないか。すがる思いで「たしかそうだった」と答えた。

 

 すると妻は「むむむ、やはり…」となにが得心のいったような言霊をはいた。妻の言をかりると、ピンクのハート型のマタニティマークはたまごクラブに付録としてあるもので、きほん誰でも手に入れることができる。丸型の白地のマタニティマークは役所でしか入手できない*1。とのことである。

 

 怪しいね。と妻はいった。妻のこころも汚かった。汚いといえば、疑惑の的となっている女性の頭髪は、頭皮の分泌する油にまみれ、ブチャラティのようになっており、清潔とは形容しがたいものがあった。手の爪はのびのびにのび、その爪の先には黒い垢がたまっていた。

 

 むろん、あの女性が「電車にすわりたがいがためにマタニティマークをぶらさげている」というエビデンスはなにもない。慷慨癖をもって破邪顕正、理非曲直を判然とさせる気はさらさら無いが、次に出遭えたら「いま何ヶ月?」って訊いたみたい衝動はある。

 

 しかし、マジでマタニティマークを悪用し、ひとの温情を姦計をもって謀るようなにんげんであれば、まちがいなく、ヒャクパー狂人である。どこに刃物をかくしもっているか知ったものではない。こわい。なんて妄想を敷衍するおれのこころはなにも信じていない。汚い。世のなか、こころの汚いにんげんばかりだ。

 

マタニティキーホルダー ハート

マタニティキーホルダー ハート

 

※アマゾンでも販売している模様。わお。

*1:地域による。ちなみにうちの役所ではピンクのハート型。「この女、食言してやがる」とおもったのはここだけのシークレット