まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

妻は家族というより半分おれ

 貧窮にからまれた母子家庭にうまれそだったため、家族旅行というものをしたことがない。かわいそうとかおもうんじゃねぇ。祖父母とはすこしく行ったことがある。でも熱海とかそういう、子どもには一切のメリットが無い、ひなびた温泉町ばかりであった。

 

 よって、そんなおれの家族旅行の思い出というのは、妻とのものばかりである。思い出深いのは、沖縄に沈面し、夏がくるたびにそこへ行ったことと、やはり新婚旅行のセブ島である。

 

 新婚旅行案にはハワイという、芸能人がしばしば通うアメリカの植民地もあがった。しかし、おれはきほんてきにひと気のおおいところが苦手で、殷賑とした場所にとどまると、ストレスが蓄積し、さいあく頭痛やめまい、吐き気、ときに呼吸困難、などの諸症状が発生してしまうのである。

 

 そんなおれの脆弱な精神を斟酌した妻は、プライベートリゾートでゆったりすごすハネムーン、というプランを練ってくれたのであった。それがつまり、予算の工面もあわせ、セブ島のプルクラホテル、というところになったのである。

 

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 スマホにおさめられている写真の日付をみると、もう五年も昔である。異国の空。しめった季節風でさえも、日本のそれとはにおいがちがっていた。ちょっとスパイシー。空港から迎えのタクシーにのり、車内のひととなって数時間ゆられる。ついたところは、現実と乖離した桃源郷であった。

 

 すばらしい款待をうけた。オール日本語でオッケー。アジアチックで瀟洒な茅葺の母屋から、コテージにむかう。その道にはプルメリアという可憐な白き花が咲き乱れており、えもいわれぬ花香を馥郁とさせていた。

 

 ビーチを眼前にしたコテージにはプライベートプールもついていた。風光絶佳。どんな歴史的な絵画よりも価値のある風景だった。あと炊金餞玉、飯もうまかった。

 

 卑小でちっぽけなおれが、こんな贅のかぎりをつくしてもいいのだろうか。死んだら地獄に落ちるのではないか。なんておもったりしたけれど、案の定バチがあたったのか、そなえつけのビールをたくさんあおり、超酩酊したおれは部屋内の階段を「ナツナツナツナツココナーツ」と叫びながら跳躍したため、結果、着地に失敗し、足首をねんざした。初日のことである。

 

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 コテージでゆっくりく寛ぐ。といっても、船で離島にいき、潜水服を着用のうえ、海にもぐり、紺緑の世界に数条の光がゆらめくなか、珊瑚や魚類を観察する、という通称スキューバダイビングというのをやったり、車で都市部に行き、ショッピング、なんてのも、すこしくした。

 

 しかし、ベースはホテルであり、白い砂浜のビーチで食事をしたり、ホテル内部のプールや、部屋のプールで遊んだりした。ってゆうかきほんゆっくりした。椰子の木が風に揺れるのをみたり、プルメリアの花を嗅いだり、夜には波のさざめきや、星のまたたきを聞いたりした。妻はなんかマッサージみたいのをうけていた。あとでっかいトカゲがたくさんいた。二メートルはあったとおもう。こわっ。

 

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 旅行記を記載するほど記憶は鮮明でない。よってこのへんで、たのしかった思い出については筆を擱く。妻は、こういった旅行みたいなものをおれが嫌いだ、ということを踏まえてくれる。

 

 おれはおれで、妻がしたい! と願望することを「それ、いいんじゃない」なんてすぐ首肯してしまう。これを妥協というのか、わからないけれど、おれたちはけっこういいペアなんじゃないかな、なんていつもおもう。

 

 妻は家族というより、なんだか半分じぶんのような気がする。もう十五年もいっしょにいる。もうすぐおれは三十二になるが、人生の半分をいっしょにいる計算になる。

 

 しかし、妻が「半分じぶん」ということになれば、下記にしめされた「思い出の家族旅行」というカテゴリーとは平仄があわないんじゃないか? なぜなら、妻は半分じぶんなのだから、「妻と行く旅行イコールおれのシャドーといく旅行」という公式が導き出され、ってことは、それはほぼ一人旅なんじゃないか? なんておもったりしたりしてまたすこし孤独。うそ。ひとりでいるときよりも、より一層じぶんでいられるような気がする。