まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

映画「DOPE ドープ!!」を観賞した感想

 映画の冒頭に「dope」という単語の意味がうつしだされる。だけれども、あれですね。これは困りました。ってゆうのも、ドープの意味はおおまかに三つの意味があって、一、麻薬。二、まぬけ。三、クールでかっこいい。って、てんでバラバラで、あべこべな単語なのである。

 

 しかし、にんげんというのも、ひとつの身体にたくさんの面をもつものなのだとおもう。だが、その表面には一面しか見せることができない。というか、客観的には「その一面しか見ない」。どたばた青春ムービーかとおもいきや、そんな人種イメージとの闘諍のムービーであるな、とおもった。

 

 主人公のマルコムは云う。「ふたりの高校生がいる。いっぽうは成績優秀でハーバード大学を目指し、九十年代の音楽ヲタクで、同級生とパンクバンドを組んでいる。もういっぽうは掃き溜めみたいな底辺の町に住まい、母子家庭で、麻薬の売人をやっている」と。

 

 瞑目してその人物を妄想すると、前者は白人で、後者は黒人である。おおくのひとはそうおもう。しかしその実体は、ひとりのマルコムという黒人のハイトップフェードの高校生なのである。

 

 なんだか世の中、白人の世界なのだなぁ、とおもう。六十年代にモータウンというレーベルが流行したが、黒人がつくったレーベルであったのに、内容は白人向けの口当たりの好いポップスであった。

 

 さいきんアレサ・フランクリンというひとが鬼籍に入ったが、彼女やオーティス・レディングというひとがブームを興したソウルという音楽ジャンルは、黒人の「荒くて、野生的」というイメージを強調した音楽だった。

 

 しかし、黒人が「荒くて、野生的」だなんてだれが決めたのだろう、という謎もある。家でパズドラばっかしてる黒人もいるだろうに。ちなみに「荒くて野生的」な音楽をやっていた白人のデラニー&ボニーというひとたちは、フレンズが加わるまでちっとも売れなかった。

 

 じつはジミヘンという、未来永劫すごいギタリスト第一位の黒人も、じつは白人向けにプロパガンダされたものだった、となにかで読んだことがある。白人フォークロックがアメリカで澎湃とするなか、黒人ブルースロックがフィーチャーされていたイギリスでデビューしたのも、そもそもイギリス人という白人に向けたプロモーションであったのだなぁ。

 

 おれは極東の島国に生まれそだったので、そういった人種間のイメージにあまり頓着がない。ただやはり公民権運動というのがあったものの、黒人にたいする粗悪なイメージは払拭しきれていないのだろう。無差別に銃を乱射しているのは白人のほうがおおい印象があるが、いつまでも白人がもつ「清潔で品行方正な」イメージは崩れないようだ。

 

 黒人にたいするネガティブキャンペーンもまだまだつづくのだなぁ。なんておもって、じゃあおれはそういった差別的なイメージをもつのを金輪際やめよう、なんておもった。たとえば「エビフライの尻尾をたべるひと」である。

 

 きほんてきにエビフライの尻尾は残すものである。硬いから。それいじょうの理由はない。しかしこれを「たべられる」といって憚らないひとがいる。妻である。

 

 そういうひとをみると、「あぁこの人はなんて意地汚いひとなんだろう。きっと幼い頃とても貧乏をしていて、数年に一度のエビフライというご馳走をまえにしたとき、あまりにもエビフライタイムを堪能したいがため、尻尾をしゃぶり、その過程で、これは食えるぞ、食っちゃえ、とおもったにちがいない」とおもっていたのだが、そういうのはやめます。差別すいませんでした。

 

 ファレル・ウィリアムスというヒップホッパーが監督した映画らしい。おれはヒップホップに通暁していないので、失礼ながら存じ上げていないのだが、妻が知っていたので有名人だとおもう。ちなみにレニー・クラビッツの娘が出演していた。サングラスはかけていなかった。

 

 ジャケットから「ストレイト・アウタ・コンプトン」のようなゴリゴリのヒップホップムービーではないことは認識できたが、曲中のヒップホップミュージックはどれも格好が良く、笑いありのエンタメ性に優れていてるなか、メッセージ性もあり、とてもよい映画だとおもった。さいこうにドープ。

 

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