まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドは本当に偉大なアルバムなのだろうか

Sgt Pepper's Lonely Hearts Clu

 

 喧嘩売ってないです。すいません。ちょっと疑問が湧いたというか、まぁ、結果として、「やっぱビートルズすげぇ!」ってとこに着地します。

 

 音楽誌のオールタイムベストアルバムみたいな、そういう昔のアルバムばっかり取り上げられるランキングで、よくこの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というアルバムが一位をゲットしているのですが、ほんとにすごいの? っておもったんですね。ピュアに。

 

 おれは割りと好きだよ。ざわつくオーディエンスに、ストリングスのチューニング音が聞こえてきて、わーってなって曲始まって。でもおれは特に二曲目の「With a Little Help from My Friends」が好き。リンゴがうたうとコーラスが豪華。

 

 ちなみに一曲目の「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」は、最初ジョンがベースを弾いたようだ。ポールがギター弾くためである。そのあとでポールがベースをオーバーダビングした。で、もとのジョンのベースはどうしたか、ってゆうと消したんですね。なんで消せたか、ってゆうと実はジョンのベースはレコーディング時にラインで撮っていたんですって。世界でも最初期のDI*1をつかったライン録音らしいです。ケン・タウンゼントがつくったらしい。最新技術。

 

 まぁ、とにかく、このアルバムはなんだかんだポール・マッカートニーのアルバムであった、と言ってもいいんじゃないかしら。とにかくベースがかっこいい。あと、ジョージマーティン忙しくて来れないとき、ポールの絶対的権力でほかのアレンジャーにアレンジ頼んだりしちゃって。マーティンはその夜くやし涙でむせんだってのはおれの妄想。

 

 1967年6月1日木曜日に発売されたこのアルバムは、しばしば「世界初のトータル・コンセプトアルバム」と形容されがちである。そうかしら? 個人的に「まとまりがあるなぁ」とはおもえない。じじつジョン・レノンも「最初の2曲をつなげただけでしょ」的な発言をしている。

 

サージェント・ペパーとフランク・ザッパ

 フランク・ザッパが「サージェントペパーズ」を揶揄ったアルバムとして「We're Only in It for the Money」というのを1968年に出しているのだが、そのためかフランク・ザッパ狂信者は「ビートルズのコンセプトアルバムなんてザッパのマネです」なんていう。サージェントがリリースされる以前、ザッパは1966年6月に「Freak Out!」というコンセプト的アルバムを出しているのである。

 

We're Only In It For T

 

 しかし「Freak Out!」自体、これはコンセプトアルバムです。なんつって売り出したわけでなく、後日自伝かなんかで「あれには徹頭徹尾コンセプトがあった」と言っているだけのような気がする。司馬遼太郎が「ひとは過去を語るとき神の視点をもつ」といっていましたが、まさにそれだとおもいます。

 

 なんというか、フランク・ザッパファンは、とにかくこの「サージェント~」がお嫌いなようで、なにかといちゃもんをつけてくる。ウィキペディアに「曲を二曲つなげるのはザッパのセカンドアルバムの影響」とか書いているが、うーん、どうだろう。ザッパのセカンドが出る頃にはすでにサージェントの曲の収録はおわってるとおもうんだよなー。

 

Freak Out!

 

コンセプト・アルバムとは

 世界初のコンセプトアルバム、それを探し出したら、まずボブ・ディランの「ブロンドオンブロンド」は1966年5月にでている。じっさいこのアルバムがコンセプトアルバムか、というと、前作「追憶のハイウェイ61」が短編集のあつまりだとかんがえれば、「ブロンドオンブロンド」はひとつの物語として捉えられなくもない。二枚組のアルバムで、二枚目のB面は一曲のみしか吹き込まれていないというポイントもコンセプト的だとおもう。このへんは異論があるかもしれないが個人の意見なので黙してくれないか。

 

ブロンド・オン・ブロンド

 

 そういえば、1966年12月には、ストーンズの「アフターマス」なんてのも既に発売されていた。はじめてストーンズがR&B、カバー曲という呪縛からのがれ、「ローリングストーンズ」というオリジナルバンドのみで勝負したこのアルバムも、ローリングストーンズという主題、という点でコンセプト的と言ってもいいとおもう。

 

アフターマス(UKヴァージョン)

 

 ちなみに、コンセプトアルバムというのをたどっていくと、フランク・シナトラに行き着く。「In the Wee Small Hours」とかですか。あんまり詳しくないっす。ってゆうか、ジャズの点でいえば、1949年にマイルス・デイヴィスが「クールの誕生」を出している。これは「ビバップからの脱却」、そして「アンサンブルの音楽」というコンセプトがある。コンセプトアルバムと言っていいとおもう。

 

クールの誕生

 

 だから、コンセプトアルバムという概念だけで「サージェント」を名作としてとらえるのは、ちょっと音楽史的にみて剣呑だと個人的におもう。てゆうかそんなこと言ったらクラシックとかありますし……。それにロック・ポップス部門であっても、なにより「ペット・サウンズ」という天才が作り出したアルバムが1966年の5月にはすでにこの世界に存在していたのである。

 

ブライアン・ウィルソンのペット・サウンズ

ペット・サウンズ

 ポールも、ジョージ・マーティンも「サージェントはペット・サウンズから触発された」と言っている。おれはブライアン・ウィルソン、つまり「ペット・サウンズ」をひとりで指揮したビーチボーイズの不世出の天才のファンなので、ちょっと贔屓をしてしまうけれども、このアルバムこそ、とってもコンセプチュアルなものだとおもう。

 

 よく「サージェント~」について、ビートルズはライブ活動をやめ、スタジオをひとつの楽器として鳴らした。とかいう陳述を見るけれども、それこそブライアン・ウィルソンのことじゃないのかしら? なんておもう。

 

 ペット・サウンズは精神を病んでコンサート活動ができないブライアン・ウィルソンが孤軍奮闘してつくった。ビーチボーイズの名義だが、ビーチボーイズはボーカルだけで一切楽器の演奏をしていない。演奏はブライアンがピアノの中にもぐって弦を弾いたり、あとはだいたいミュージシャンを雇って録音した。

 

 このままペットサウンズのことを書くと紙幅がおおくなってしまうのでちょっとやめたいんですが、とにかくブライアンが「自分の頭のなかの音」を再現しようとしてつくったアルバムなのである。

 

 ではなぜ、このブライアンは「ペット・サウンズ」を作ろうとおもったのか。そこにはビートルズが1965年に出した「ラバー・ソウル」というアルバムが影響してくるのである。

 

ラバー・ソウル → ペット・サウンズ → サージェントペパー

 ビートルズはイギリスのバンドです。でもアメリカでもレコードを出しています。そのさい、収録曲が変更されることもあったんですな。それってオトナの都合なんじゃないの? ってなもんであるけれど。

 

 ブライアン・ウィルソンが聴いたのはアメリカ版の「ラバー・ソウル」だったようだ。おれたちがいま聴いている巷間に出ている「ラバー・ソウル」はイギリス版です。なにがちがうのか、って一曲目から違う。前述のストーンズの「アフターマス」もそうだったけれど。

 

 この「ラバー・ソウル」を聴いたブライアンはどうおもったのか。すごいとおもった。主旨貫徹しているとおもった。これはやばいとおもった。ビートルズに抜かされるとおもった。でも、おれもこういうのを作りたい、自分自身の音楽を突き詰めたいとおもった。

 

「ラバー・ソウル」という魔法の円盤には、そういった魔術が詰まっていた。音楽家が民衆に阿諛追従することなく、自身の音楽性を表現する。そんなふうな気運をひきおこした。しかし、それがアメリカ版の改編された「ラバー・ソウル」というのはだいぶ皮肉なものである。 

 

ラバー・ソウル

 

LSDの影

 ティモシー・リアリーというハーバード大学のひとが、LSDで精神をひろげよう! 的なことを言ったせいで、ヒッピーたちがこぞって幻覚を体感しようとLSDをやりまくるのだけれど、そういった薬物の影響は、フラワームーブメントに関係のあるロックミュージックとは切っても切れずにある。

 

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 そういうと「いや、薬物にたよらなくても音楽は好いし」と言うひとがたちどころに現れるが、合法薬物経験者N君曰く、「サイケデリックミュージックはローションだ」と。はたからみればヌルヌルで気持ち悪いが、じっさいローションを塗られているほうはめっちゃ気持ちええ。みたいな。だから薬物をやらずにサイケ聴いてるヤツは、ローションプレイを拱手傍観して「めっちゃ気持ちええ」と言っているようなものだ。そんなの気が違っている、とのことです。ほんとうに気が違っているのは誰なんだろう。

 

 そういった影響もかんがえなければいけないとおもう。ビートルズのすごさは音楽を文化にしてしまった部分にもある。では文化があたえる音楽への影響をも考慮しなければならない。

 

 当時LSDは合法だった。ポールも「やったほうがええで」なんて公言していた。クスリを嗜むかたがたというのはながく聴いていられる音楽を好む。なんかレコードとかも換えるのもめんどうになるらしい。しかも、そのままにするからよく失くす。失くすしよくすり減らす。だからまた同じレコードを買う、というようなことが当時よくあったそうだ。

 

 もし「売り上げ」というものが名盤に不可欠な要素であれば、かくなる薬物によるリピる行為もかんがえねばいけないとおもう。

 

世界同時衛星放送

「サージェント~」をリリースしたビートルズは、その月の六月二十五日、衛星放送で「愛こそはすべて」を演奏した。つっても口パクだったのだけれども。だって、つくったばかりの曲だし、しかも変拍子*2。失敗するのを恐れて録音にしたらしいですね。2012年のロンドンオリンピックのポールは、その過去があったのか、口パクから急遽生演奏に変更して、音ちょっと重なりましたよね。はは。

 

 おれはこの世界同時衛星放送というのも、「サージェント」を神格化させた要因じゃないかな、なんておもう。イギリスが「もっとも影響のあるバンドはビートルズです」と喧伝しているようなものだったんじゃないかしら。

 

ビートルズという偶像

 きっとビーチボーイズが、ずっとまえから実験的な音楽をやっていたら、「ペット・サウンズ」が歴史的な名盤になっていただろう。こんな変化をするの!? すげぇや! って。しかし、ペット・サウンズは売れなかった。いや売れなかったわけじゃない。しかしアメリカ人の理解が追っつかなかった。歌詞も暗いし、ビートは弱いし、硬いギターの音も皆無である。みんながっかりした。

 

 しかし、ビートルズには音楽的赦免のふいんきがつきまとう。なにをリリースしても「これが世界の音楽の最先端」だとおもわれてしまう。なぜなら「ラバー・ソウル」を作ったからである。

 

 なにをしてもビートルズが世界初という過大広告がつきまとう。「ラバー・ソウル」では「ノルウェーの森」という曲で、はじめてシタールをつかった曲だ、なんていわれたが、じつはジェフ・ベックがヤードバーズでやっていたりする。というか、イギリス人にとって植民地であったインドの音楽は、神秘的なひびきではあったけれど、とりわけものめずらしいものではなかったようだ。

 

 けれどもヤードバーズはそのシタール曲「ハートせつなく」をギターで撮りなおし、そちらをリリースした。けっかインド楽器はお蔵入り。ところが、キンクスが「シーマイフレンド」という曲でタンブーラというインド楽器を使って「ノルウェイの森」よりも先にレコーディングしている。

 

 しかし、インド音楽をひろめたのはジョージハリスンである。音楽のクロスオーバーは70年代に爆発するけれども、地位も名誉も手にれたビートルズが、現状に飽き足らず音楽を混淆させていったことに驚きがかくせない。

 

 ジョンとポールがビートルズを作った。それに異論はない。彼らが研鑽しあって名曲が生まれていった。しかし、おれはジョージハリスンという天才がいなければ、彼らの創作意欲はここまで研ぎ澄まされなかったとおもう。ジョージが名曲をつくるたび、「まさかジョージが」と彼らはおもった。ジョージはジョージでいつも年下ということに之繞をかけられ、「このやろー」とおもっていた。この複雑な三角関係がビートルズを巨大な音楽実験装置にせしめたのだとおもう。

 

 その実験性、意表のつき方、切り札にジョージはインド音楽をチョイスした。けっか、大成功をおさめた。その成功の波紋はおおきい。ジェフベックがシタール奏者を起用したって、その波紋は小さな波しかおこさない。

 

 ビートルズはそのじぶんたちが立てる波紋の大きさに気付いていた。そこがまた彼らのすごいところで、世間の反応がおおきいことを知りながらも攻めた音楽を創造していった。そしてつくったのが「ラバー・ソウル」である。

 

ラバー・ソウルのやばさ

 1965年の12月。クリスマス商戦に則ってビートルズは「ラバーソウル」をリリースした。先述に「オーディエンスに阿諛追従しなかった」とかいたけれども、ビートルズのすごいところは実験的要素をとりこんでも、音楽はキャッチーさを失わなかった、というところにあるとおもう。

 

 ビートルズはいつでもイントロを大事にする。ラバーソウルの一曲目「ドライブマイカー」でもそうだ。ウラから入る。頭拍からリズムをとると歌のはいりでズレてこそ気がつく。こういう音楽的サプライズをいつだって用意する。

 

「ノルウェイの森」についてはやはりシタールの神秘的な響きと曲の放つオーラがすさまじい。「Think for Yourself」ではベースにファズなんて前人未到である。「The Word」ではすったもんだの恋ではなく深甚な「愛」をテーマにした。下降するクリシェを軸になかば力技ともいえるコード進行の「Michelle」や、蠱惑的な「Girl」。それに超名曲の「In My Life」もある! なんてったて「What Goes On」はリンゴ・スターがはじめて作詞作曲にたずさわった!!

 

 上記の強力な名曲軍をつなぐ「You Won't See Me」、「Nowhere Man」「I'm Looking Through You」、「Wait」、「If I Needed Someone」、「Run for Your Life」がクセもありながらとにもかくにもめちゃくちゃキャッチーなのである。

 

 そうして「ラバー・ソウル」は一枚まるまるそのまま聴いてしまうアルバムになった。なったというかなってしまった。その点で個人的には「サージェント」よりも「ラバー・ソウル」のほうが歴史的には重要なアルバムなんじゃないかな、なんておもう。

 

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドの凄味

「ビートルズが好き」というひとにおれはよく「好きなアルバムなに?」と訊いてみる。そうすると個人的な感覚では「サージェント」を好きというひとは少ない。みんな大体「ラバーソウル」、「リボルバー」、「ホワイトアルバム」、「アビーロード」とおっしゃるイメージがある。ちなみにおれは「プリーズ、プリーズミー*3」が恒久的に好き。

 

 でもビートルズで偉大なアルバムというのは決まって「サージェント」である。それはコンセプトアルバムだから? ってゆうと、そうでもあるし、そうでもないとおもう。おれがおもうにロックバンドがアーティストになりはじめたのって、このアルバムがきっかけだとおもう。

 

 アルバムといっても所詮は曲の寄せ集めだった。それを「コンセプトにしたからまるっと全部通して聴け」というのをバンド側から強制した。「ラバー・ソウル」がその嚆矢だったかもだけれど、あれは偶発的すぎた。しかし「サージェント」は意識的に、蓋然的にそうなるように仕向けた。そこに凄味があるとおもう。

 

 すると次々とアルバム単位で曲をつくるバンドが増えていった。「おれたちはこれでいくから」って。つまり、バンドがオーディエンスに阿らずとも鋭意に好きな曲を作れるようになった。

 

 それをビートルズがやることにこそ意味があった。これをやるのがビーチボーイズ(つうかブライアンウィルソン)でもフランクザッパでも駄目だった。ビートルズというポップスターが客に恭順しない姿勢をみせたこと。それがすごかったんじゃないかな、とおもう。

 

サージェント・ペパーの影響

 サージェントがなければ、世界で超売れまくっているピンクフロイドの「狂気」とか、イーグルスの「ホテカル」とか出てこなかったんじゃないかしら。アルバムのアートワークとかも含めて。レコード会社は売れるキャッチーな曲しかロックバンドに許可せず、ロックンロールはずっとメディアの傀儡だったかもしれない。まぁそんなことはなかっただろうけど。

 

 そんなアーティスティックな面だけではない。なにより音楽をアルバム単位で売ることを敷衍させた。シングルがちまちま売れるのではなく、LPがドカンとが売れるようになった。以降、音楽産業は隆盛を極める。1967年、レコード業界は年間10億ドルをもたらす巨大な産業になった。まぁそれはいろんな影響があるだろうけど。

 

 名盤というのは、その収録曲や売り上げも大事だが、なによりも後世への影響力が枢要だとおもう。その点でいえば、やっぱ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というアルバムは、バンドが「アルバムは寄せ集めじゃねぇ。芸術作品だから全部聴け!」なんて主張した点で、とてつもないアルバムなんじゃないかな、なんておもいます。やっぱビートルズすげぇ!!

*1:楽器はマイクをとおして録音媒体に録音するんですが、マイクをとおさずに録音媒体にそのまま録音するメカをDIっていいます。ダイレクトボックスです。

*2:2018年に7/8拍程度で変拍子というのもたいへん憚られますね。しかも「Good Morning Good Morning」なんてとんでもねぇ変拍子やってますしね。彼ら。

*3:タイトルの「Please」を副詞と動詞で使ってるのとか天才すぎるとおもってる。