まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

「ピザって十回言って」の起源

 日常的に、ひとを謀り姦計に陥れようとする行為が横溢している。哀れ人類よ。だから世界に戦争がなくならぬのだ。無辜なる人民を瞞着し、おのれの虚栄心を充たす。その愚昧な行為のひとつに、いわゆる「10回ゲーム」という転合が存在する。

 

 小学校の砌。友人からだしぬけに「ピザって十回言って」と懇願されたことがある。友人のたのみも聞けぬほど野暮なおれじゃない。学徒の身分と雖も、これでも日本男児のはしくれ。言ってやろうじゃないかと真率に「ピザピザピザ……」と十回唱えたのである。

 

 するとあろうことか、今度は突拍子もなく「ここは?」と肘を指差し、謎を問いかけてくる。コミュニケーションが一方通行だ。どんな家庭でなにを食えばこんな自分本位の人間ができあがるのだろう。もしかしてけっこう可哀想な家庭なのか? 疑懼の念が蟠るいっぽうで、おれは「ひざ」と応えてしまったのである。

 

「ブッブー! ここはヒジですぅ~」としたり顔してのたまった、あの友人の顔ほど馬鹿らしいものはなかった。一体こんなことをしてなにが楽しいのか。気がどうかしている。やはり友人の家庭にはちょっと問題があるのだ。家庭の不祥事は面と向かって「かわいそう」と言えぬところがつらいですよね。

 

 しかし、おれはなぜヒジをヒザと応えてしまったのか。真相はあの「ピザ」を十回言う、という儀式にあると感づいた。おれってかしこい。つまり「ピザ」という語感に脳が錯覚をおこし、さらには唇も「ピザ」の準備体操をしてしまった。そして四肢の間接駆動部分を「ヒジ」と「ヒザ」などというイ音便、ウ音便の変化だけで差別化を済まそうとした医学会の懈怠によって、ヒジを「ヒザ」というネーミングであると勘違いしてしまったのである。

 

 なんとも浅ましく、さもしい詐術だ。なにより、ひとがひとであるための「お願いを受け入れる」という優しい気持ちを踏みにじっている。意味もなく「ピザ」と十回唱え、さらには質問に答える。それが間違ったときに、待ってましたと言わんばかりに、侮蔑と嘲弄を差し向ける。人間を馬鹿にするのもいいかげんにしろッ!

 

 そうは言いつつも、これ、事情を知らぬ他人に試してみると、おもうように皆口をそろえて「ひざ!」と応える。おもしろい。馬鹿なやつらめ。まんまと思う壺だ。ちっとは考えろ。木偶どもめ。

 

 こうしておれたちは他人をだますことを憶えた。いや、他人をだますことによって快楽を得ることを覚えた。当時の学び舎では、みな雷同したかのように、口を開けば「ピザって言って」の大合唱、一大ムーブメントが巻きおこったのである。

 

 しかし万物は流転する。いずれ「ピザ事変」は波が退くように静まった。そんなピザのほとぼりがさめたころ、友人の某氏より、唐突に「ピザって10回言って」と嘆願された。おいおい、いまさら!? 時代おくれもはなはだしいぜ。いや、ってことは、待てよ。ははん。こいつ腹に一物かかえてやがる。

 

 つまり、今更「ひざ」と応えるものは少ない。ふつうに「ヒジ」とこたえて冷笑を浮かべるだけである。未来が透けてる。しかし、だからこそ。某氏はさらなる罠を仕掛けている可能性もある。つまり移植である。

 

 某氏は後天的にヒジの病に犯された。命に関わるヤバいやつである。これを解決するにはアメリカに行って、ヒザの皮膚をヒジに移植せねばならない。むろん手術は成功。某氏のヒジにはヒザの皮膚がある。つまり、そこは「ヒザ」なのである。

 

 裏の裏は表であるように、某氏は鬼謀をはかった。くそめ。悪は滅ぶべきだ。狡猾な人間には罰がくだり、理非曲直を明らかにせねばならない。ひとを出し抜こうとする人間をどうすれば退治できるのか。つまり相手の権謀にのらず、こちらのリズムに引き込めば好いのである。

 

 よっておれは「ピッツァ」と応えようとおもった。なるほどよくできた答案である。脳も唇も「ピザ」のクラウチングスタート状態なのに、あえて「ピッツァ」と応える。この意外性に相手も舌を巻くにちがいない。はは、今後望月家では「十回ゲームピザver.には、ピッツァと応える」を家訓にし、額にしまって鴨居に飾ろう。

 

 某氏の依頼に、オッケーだ、と首肯し、ピザピザ……と指折り数えると、ほらキタ、やはり某氏は、なんのオリジナリティーも恥ずかしげもなく「じゃあここは?」などといって、ヒジを指差したのである。

 

 むろんおれは準備万端にしていた「ピッツァ」は放った。どうだ某氏め。きさまの考えていることなどお見通しなのだ。そこはヒザの皮膚が移植されているのだろう。そこへ「ピッツァ」のボケの上乗せだ。こちらが一枚上手なのだ。

 

 だがそれは、まごうことなきピザであった。三十メートル先からみれば、トマトソースの朱はなまなましい新鮮な血液にも見えなくは無い。ともすれば、よせあつまったチーズの段は、傷が膿んだあとにみえるかもしれない。つまり遠方から拝見すれば、怪我のようにも見える。

 

 しかし、こうも近距離でみれば、それがピザだと判別できる。某氏のヒジにはピザがあった。某氏はヒジにピザを抱える呪われたからだを持っていたのである。

 

「相手がピザと十回唱え、そいつがおれが指差したヒジを〈ピザ〉もしくは〈ヒザ〉と応えたとき、その場所がピザになる。それがおれのスタンド〈ピザオブデス〉だッッッ!!!」ドッッギャーーーン!!!!!!

 

「突然でした。矢が飛んできたんですよ。それに触れたら、この力が目覚めたみたいで。最初は戸惑いました。だってピザ出てくるんすもん。医者にもいけないじゃないっすか。でもこのピザ、食ってみるとうまいんすよ。だからじぶん、みんなに『ピザって十回言って』って言って歩きまわったんすよ。で、ピザ食い放題。人生チョロいっしょ」某氏はそう語る。「ピザって十回言って」の起源はここにあったのだ。

 

 しかし、10回ゲームが膾炙したせいか、もうヒジをヒザと言う人間が希少になった。どうやら〈ピッツァ〉も〈ピザ〉という単語のストライクゾーンに入っているようだ。某氏はしきりに「これは新しい発見だ」とひとりごちていた。

 

 それから某氏はピザの本場、イタリアでピザの修業をし、いまは日本でちいさなピッツェリアをひらいている。繁盛しているようだ。だが、あのときどうして某氏はおれに十回ゲームを挑んだのであろうか。やはりスタンド使い同士は惹かれあうのか。おれのスタンドは「無駄に長文を書く」というもので、こうしてまた今日も長い日記をかいている。