まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

スウェットポッケ不要論

 夜半。閨に入ると、どうも寝心地が悪いというか輾転反側、いたいなー、いたいなー、って稲川淳二をスパイスに加えて云うと、太ももあたりに違和感があるのである。RのでR。その正体は、すなわちスウェットのポッケであった。

 

 スウェットのポッケ部分がポッケ内部で纏綿としていて、そいつがどうやら丸みのような形状を保ち、それがために横になると、その丸みをもったスウェットの部分が圧縮され、硬度のある鞠のようなかんじになり、それが大腿部へと食い込んでいたのである。

 

 おれは激怒した。なんたる企業の不始末だとおもった。ズボンという形状をとっているからという理由でポッケを設えている。はぁ? 意味ワカンネ。はっきり云って、スウェットにポッケなんていらないのである。

 

 スウェットという衣類は、おもにどのような運命を背負っているのか。というと、だいたいの場合、まー、すくなく見積もっても七割、八割がパジャマである。パジャマのカルマ。韻。で、ここからが本題ですが、パジャマにポッケ要りますか? ←これは反語です。

 

 さらぬだに、スポーツウェアとして機能するレアケースもあるだろうが、逆にスポーツウェアとして機能するのならば、よけいにポッケなんていらぬのじゃないか。おれはスポーツせぬのでよくわからないが、ポッケにキーやキーホルダーやタバコやライターが入った状態でスポーツなんかしてたら、邪魔くさくて仕様がないだろう。

 

 だからスウェットという衣類にはポッケはいらないのである。それなのに、あぁそれなのに、スウェットを生産している企業様は、「ズボンだからポッケをつける」と思案なすっていらっしゃる。なんて因業な、なんて頑迷固陋なのかしら。

 

 じゃあおまえがポッケのついていないスウェットを選んで買えばいいじゃないか、という声も聞こえなくないが、いや、そうゆうことちゃうで。おれはな、カスタマーの怠慢を嘆いているわけではないのや、工藤。企業の妄信を嘆いてるのよ。

 

 ほんとそうゆうとこだよ。まじで。そうゆうとこがこの国の改革にとってよくないのだと、おれはそうおもう。ちょっとちゃんとユーザーへの視線というものを意識しないと、顧客はすぐに離れていきますよ?

 

 そんなわけで、瞋恚の焔を宿しながら、「なんでおれがこんなことしなきゃならんのだ」とおもいつつも、おれはスウェットのポッケに手を突っ込み、スウェットのポッケの内部を、そのボール状からフラットスタイルにもどそうとしたとき、たいへんな事実が判明したのである。

 

 スウェットにポッケは無かったのである。すばらしいスウェットだとおもった。おれは知らぬ間にポッケのないスウェットをチョイスしていたのである。それはまるで歴戦のボクサーが意識を失ってもなお闘い続けるかのように、自然とポッケのないスウェットへと身体が動いていたのである。

 

 おれはこのときほど神の存在を感じたことはない。いや、それはきっと、おれが何度もスウェットのポッケに苦しみぬいた結果だったのだろう。だが、じねんとポッケを排撃していた自分の奥底に眠った無意識に霊験あらたかな神の存在を感じたのである。ありがとう、神よ。アーメン! ハレルヤ! ホサナ!

 

 じゃあおれが覚えたあの違和感の正体はいったいなんだったのか。それは今でもわからない。でもそれでもいい。それでいいんだよ。だっておれには神がいるから。翌朝、なぜだか息子の洟をかんだティッシュがそこにまるまってありました。