まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

どうして人はうんこの恐怖を抱えながらも文明を維持するのだろうか

 

 最初に言っておきますが、今日は漏らしてません。

 

 

突然の訪問というのはたいへん困惑する。

予定のない来客、全裸のときの宅配便、即席麺にお湯をいれた間際の呼び出し。

そして外出時の便意。

 

その中でも便意はとくに惨事に陥る可能性が高い。

だって垂れたらほかのヒトにめいわくがかかるもの。ついでに自尊心も失う。ほんと、うんこさんには事前にアポイントをとっていただきたい。

 

そもそも何故僕がこうまでして便意における腹痛に耐え忍ばなければならないのか、というと、それは今が平成28年であり、その時代のニッポンという国に籍をおいていることが前提としてあるのであって、この国、いやこの国のみにあらず、人類がその文明を発展させてきた地球文化には、排泄はここでしなさい、と秩序、衛生管理、道徳をまもるため、強制的に躾、教育、洗脳を施され、便所、いわゆるトイレと呼ばれるスペースが文明として誕生、開発されたからである。

 

つまるところ、便所という概念がなければこんなに我慢しなくていいのです。

 

その点、現代においても昆虫、鳥類、街を徘徊する四足動物というのは自由だ。

自由というのはすばらしい。なんてったって排泄をまきらせるから。

したくなったらする。これが本来、いきものとしてのあるべきすがたなのだ。

 

しかし僕はヒトにうまれ、ヒトしか愛せずに、ヒトの死を死んでいく人間。

しかも文明人。通勤中の電車内でしたくなったらすればいいってもんじゃない。

さらにいえば僕はもういい大人です。アラサーです。社会人です。スーツと襟シャツをまとっています。立派な人だと思われたいです。でもできれば犬になりたかった。

 

じゃあどうするか?耐えるしかないのです。ひたすらに耐えるしかないのです。

「どうして僕ばかり…」「なんでこんな目に…」そんなことばかり考えます。

このようなひどく耐え難い苦難にぶちあたったとき、ヒトはどうするか。

 

そう、神に祈ります。信仰の誕生です。

 

ヒトがおのれ自身で解決できる事案には限りがあります。

天災、飢饉、病い、事故、腹痛。

ヒトはそれを、神のなす業、神の手として処理し、神に祈ることにより救われると信じるのです。

 

しかし、ヒトは忘れるもの。

喉もと過ぎれば熱さをなんとやら。

苦難に見舞われたときのみ、神を信じ、神に祈り、神に感謝する。

ずいぶんインスタントな信仰です。とくにここニッポンにおいては。

 

便意というのは恐怖です。突然やってきます。

しかし、ここが原始で、石オノとヤリでマンモスを狩っている時代であればそんな恐怖は抱きません。だってそこですればいいし。

そもそも通勤電車に乗る必要だってないのです。こんなに負のオーラが蔓延する人口密度の濃い空間なんていらないのです!なのに!なんでヒトはこんなにも生きにくい文明を維持するのでしょうか!たしかに利器の開発、発展、医療の進化によりヒトは長らえ生きることはできるようになりましたが、そのぶん原初の生活とちがい、うんこの恐怖をいだくようになってしまったではないですか!ひとつなにか解決すれば、またひとつなにか不安が増える!結局いつまでたっても、人間は不安をかかえながら、生きるしかないのでしょうか!!嗚呼他が為に!!

 

 とにかく僕はうんこがしたかったんだよ!そのためなら文明の崩壊だって厭わない!

 

というお話しでした。

 

余談ですが、腹痛時に僕は頭の中でレッドツェッペリンのハートブレイカーが流れます。お…きたな…、ってときにあのリフが流れます。そして耐えて耐えて放出する時にあのブレイクからのソロが流れます。あ、まだでるな!ってところが断続的に続くあのソロにぴったりなのです。

名盤、レッドツェッペリンⅡに収録されています。みなさんも是非試してみてください。