まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

シティマラソンによる交通規制

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Pixabayのmaxmannによる画像です

 やけに車がすすまねぇな、と苛立ちはじめたとき、ふと目の端にひとつの看板がとまった。そこにはなんと「シティマラソンのため交通規制」という注意勧告がゴシック体で書されていたのである。そんなばかなことあるめぇとおもった。

 

 世の中には無感動、無感覚、無趣味ひとが一定数いて、なにを観ても、なにを読んでも、なにを聴いても、ちっとも感動しないため、しかたなく「走る」を趣味にする、というのを風聞したことがある。

 

 正直にいってかわいそうだとおもう。こんなにたくさんのエンタメが跋扈してるのに、とてもとてもかわいそうだとおもう。いったい前世でどんな悪行をしてきたのだろうか。馬にでも生まれてきたほうがよかったんじゃないか。

 

 そんな彼らジョガーが公的に走行するために、税金を導入し、人員をかき集め、交通規制を布き、かれらの安全走行を確保しているのである。すごい狼藉だとおもう。はっきりいってヤバイとおもう。

 

 なぜ彼らは走るのか。というと、前述した「無趣味無感動」のかなしい習性のためであるが、その一方で「健康のため」という利己的な欲求が一種のベクトルとしてそんざいしているのである。

 

 これは国家の存亡に関わるぞ、とおもった。かくなる利己的な草民が増加の一途をたどれば、シティマラソンのごときイベントがしょうけつを極め、国家の血脈たる交通網を麻痺させてしまうのである。

 

 するとどうなるか。答えは明白であろう。日本国の流通停滞。つまり、モノが滞留してしまう。今様はクラウド管理などといって、データはすべてウェッブという仮想世界にあれども、しかしやはりモノが流通しなくなるのはこの国の危機である。

 

 いったいこの国はどうなってしまうんだ! おれは憂国の士となって、この滅び行く国の解決案を愚考*1してみると、一条の光が差し込んだ。これだ! とおもい、いまその解決案をウェッブ上にしたためるので、ぜひともこの国がこれいじょうまずくなる前に、与党はこれを断行してほしいものである。

 

 つまり、トラックで走る。これである。マラソンというのは四二、一九五キロメートルを走行すればいいわけであって、なにも市街地を駆け巡る必要性というのは皆無なのである。そこでトラックで走る。

 

 トラックというのは、競技場にある楕円形の文様で、おもに陸上競技などで使用されており、その一周の距離は四〇〇メートルと相場がきまっている。さらに、そこには競技を観察するためのスタンド席も常設されていることがおおい。

 

 これを一〇五周ちょっとすればマラソンの距離はクリアできる。またトラックを使用すれば「勝負の駆け引き」というのも楽しめる。マラソンはおもにタイムを計ることで己との戦いを要しているが、そこはやはり競争なのだからだれが一番なのか、いつ「差す」のか「逃げるのか」、「捲くるのか」といったような駆け引きを前面に押し出していくべきではないだろうか。

 

 スポーツとはエンタメである。かくなる「駆け引き」をトラックに付随するスタンド席で観察し、さらにはそこに賭博の要素なども絡めれば、大衆はおおよろこび。さらには交通網の健全な流通も確保でき、万事がうまく行くのである。

 

 ここまで書いておいてすこしおかしな話であるが、上記のこんなふうな考えかたは、だいぶ鬱屈しているとおもう。だってそうじゃないか。競争社会の現代、安寧をもたらすべき趣味の世界でさえ競争をおこなわせ、さらにはトラックなどという狭い世界に雪隠詰め、あろうことかそこを百週以上させる。ただの罰ゲームである。現代の奴隷である。

 

 さすればランナーたちはたちまちにして心に闇を灯し、世界は暗くなってしまう。奴隷の闇は深いのだ。健全な身体には健全な精神が宿る、といわれているが、おれはちがうとおもう。健全な精神が健全な身体をつくりあげるのである。つまり、まずは精神の健全を保たなければならぬ。

 

 おれは電車通勤の最中。超思案投げ首した。この国を守りたい。ただただその純情な一心でさまざまな案をスマホのメモに書きなぐった。しかしどうも行き詰ったのである。そんなとき、ふと顔をあげ車窓に目を注いでみた。遠く天空に富士がすきとおっていた。

 

 霊峰富士。その壮麗さはすばらしい精神的な康寧をもたらすのである。そうかこれか。どんなにスマホの世界をさがしても、この水晶体に投影される秀峰より美しいものはないのである。そう、現実は美しい。

 

 しかし、おれは虚構を愛している。映画や音楽、小説などを愛している。けれどもすべては創られた世界。虚業である。そんな世界でたったひとつ確固たるもの。それは己の肉体なんじゃあるまいか。

 

 そんな肉体を感じるためにワンポイントアドバイス。マラソンである。

 

 はずむ息。躍動する筋肉。汗ばむ肌。感じる。生きてるって感じる。踏み込む大地。つんと鼻を刺激するひんやりとした空気。そして視覚に流れ込む町の姿。それらはすべて本物である。

 

 嘘の世界になんて生きていたくない。おれは本物の世界で生きいきたい。それにはやはりマラソン。それも目に映る風景を感じられるシティマラソンなんかがもっとも良いとおもう。だから交通規制をしてまでもシティマラソンをすべきであると、おれは主張したい。

*1:寝ずに