歯医者がこわい。一人前の独立した男児、それも三十路を越えたのが、なんという惰弱なことを言っているのか。ってな話であるが、男としてのプライドをかなぐりすて赤心吐露せしめれば、歯医者が怖いのである。もしかしたら前世になにかあったのかも…。
でも、はっきり言って歯医者における施術、いわゆるドリルやらペンチやらで歯を掘削したり引抜したりすることは、そんなに怖くない。じゃあなにを恐れているのかというと、おれはおれのプライドが傷つくのを恐れているのである。
誰かが言っていた。「歯のないやつはだいたいゴミクズ」と。正解。おれは歯がないわけではないが以前、いっときの気の迷いで歯医者に訪問したさい、「ほとんど虫歯ですねー」なんて冷笑気味に言われた。「がんばって全部治していきましょー」という言葉の端には侮蔑が混じっていた。
たとえばもしあなたが今、「いまからこち亀全巻読め!」と言われたら、くじけちゃいませんか? たとえそこから得るものが多く、人生を豊かにすることがわかりきっていても、その手間に莫大な人生をかけなければならない、と判明したとき、人はふいに絶望を感じてしまう。そしておれはあきらめた。
歯磨きをしないわけではなかった。法律に触れてしまう薬品も嗜んでいない。じゃあなにがおれの歯をここまでにしたのかというと、おそらく飲酒である。
科学的な根拠はよくわからないが、きほんてきに酒飲みは歯が悪い。太陽中天たる時刻にワンカップを持ち、競馬に情熱を傾けている初老の歯の無さは想像に難くないであろう。まったく駄目なやつである。そういえば太宰治も酒で歯が悪くなり総入れ歯であった。こいつも駄目なやつである。
ゆえに世間には「歯が悪いニアリーイコールクソ人間」という方程式ができあがってしまっている。どうもクソ人間です。ほんと生きててすいません。と平身低頭、公共の場では陰に身を潜め、「戸籍上ギリ存在している」程度に生きていくべきなのかもしれない。
自らそうは思っても、これを他人に言われるのは業腹である。以前の歯医者でもちょっとした嘲弄を受けたが、また新しく歯医者に通い、この歯の悪さが指摘され、挙句の果てに「おまえの生き方は間違っている」などと言われたら、おれはどうにかなってしまうんじゃないか。口に指を突っ込まれ、峻烈な面罵をうけ、そのうえカネまでとられるのである。そんなマニアックな店ありますか?
だからこわいのである。おれの歩んできたこの三十余年の人生を、たかが歯の悪さで全否定されることがこわいのである。たとえ言葉に出されずとも、皮裏陽秋、歯科医の胎のなかでは、ありとあらゆる悪罵嘲弄が渦巻いているかもしれない。それが厭なのである。
けれどもそれではいけない。おれももうすでに二児の父。人間の生き方を身体で示さねばならぬのである。そうだ、この歯を治そう。眉宇に漲った決意を指先に運び、なんと歯医者にテルって予約をぶっかましたのである。こうしておれの歯医者奮闘記がはじまる。これは男の壮絶な闘いの記録である。つづくのかは不明。