まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

子どもがケーキ屋さんをスイーツ屋さんと言っていたことに言葉の変遷を感じる

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よちよちと休日出勤から帰宅する日曜日の午後。

前方からやってくる子連れの方々。

 

 そこで放たれたお子様の

「あ。スイーツ屋さんだ」

 

 という言葉にぼくはいささかの違和感を抱いたのです。

 

 ケーキ屋さんだよ?

でも確かにそのお店はケーキを売っているというよりはシュークリームがメインなんだけれども、ちいさなケーキ?も売っていて、やはりその店構え、販売形態からしておじさんからみればどうみてもケーキ屋さんなんだけれども。

てかシュークリーム屋さんでいいじゃん。

 

スイーツ屋さんて浸透している言葉なの?

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というか「スイーツ屋さん」という言葉を初めて耳にしたのです。

 王様のブランチとかではそう言っているのかな? 

 

そりゃスイーツって言葉自体はよく使うし、もう耳慣れたもんだよ。

もちろんぼく自身もケーキを「スイーツ」と呼ぶことになんの抵抗もわだかまりもないですよ。

逆にもし今この「スイーツ」という言葉がふと消滅してしまったら困るよね。

 

「最近のお気に入りスイーツはカルディのパンダの杏仁豆腐です。」

↑これスイーツの代わりになんていえばいいの?甘いもの?

 

しかしその「スイーツ」に「屋さん」を付けたことによるこの違和感。

え?もしかしてみんなそう言うの?

おじさんが浦島太郎さんなのかな?

 

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ふつーのショートケーキって見なくなったかも

不二家かコージーコーナーくらいですよね。ふつーのケーキ(ショートケーキ)見るのって。

 

たしかに駅のお店とか見ると、昨今のケーキの形状は「ケーキ」と呼ぶには相応しくないような、あの二等辺三角形ではない場合がそこそこに、あり得る。

 

それがたしかにまぁ、オシャレなのだろう。

 

このあいだぼくが食ったオシャレなヤツは、なんかちっちぇ細長い長方形でその断面が幾重にもクリームやら果実の煮詰めたヤツやらナッツやらカステラやらで構成されていて更には「いや、この一番下の硬いクッキーみたいなヤツ、フォークじゃ一緒に切れないじゃん!!」みたいなのがあったりしてすごくおいしかったです(感想)

たしかにあれはケーキというよりスイーツだわな。

そういえば「ぼくはケーキじゃないよ、スイーツだよ」って言っていた気がするもの。

 

 でもさ、その不二家とかコージーコーナーを「スイーツ屋さん」て言うのはちょっとどうかと思いません?

ありゃケーキ屋さんだよ。

 

いまや空前のグルメブーム、がずっと続いている

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スイーツ戦国時代。

おいしいもの(おいしくなくても話題のもの)はすぐにツイッターとかフェイスブックやらインスタやらで拡散されるからね。でもおいしくてもふつーのケーキじゃ話題性が無いよね。

ってことで外国で話題の○○がニッポン上陸!!なんつって。

 そんな名前は実際どうでもよくて、すぐに忘れられちゃったりして。

 

そこで登場する魔法の言葉が「スイーツ」なのかもね。

 

 いろんな形状の、いろんな名前の、いろんな味のそういったものが出回った時に「スイーツ」で一括りに出来るのは大変便利なのではなかろうか?

 

 ケーキ屋さんが死語になるのでは?

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しかしどうだろう。

子どもたちはもう「ケーキ屋さん」とは言わないのだろうか?

 

つい先日夏祭りで息子の保育園に行った時、子どもたちの将来の夢みたいな掲示物があった。

その中に私たちの幼少期に”なりたい職業”ベスト5以内の常連「ケーキ屋さん」、はなく、「パティシエ」があった。

 これを踏まえると彼らの行う仮想世界での遊戯、通称「おままごと」ではもうすでに、

「ケーキ屋さんごっこしよー」ではなく「パティシエごっこしよー」になっているのではなかろうか。

いやちょっとまて、パティシエごっこだとみんながみんな厨房に篭りただ淡々とねんどで模したスイーツを作成することになる。にぎやかだった子どもたちも一転、お客様の笑顔を思い命を掛けてスイーツを作る職人の顔になりその場は静まり返ってしまう。もしくは一人が制作指揮をとるフロアマスターとなり、怒号の飛び交う仲その他は作業員として制作にあたるのか?そんな料理の鉄人みたいな感じになるのか?

ちょっとまて子どもたちが身近に感じるのは販売員だ。その役割が無ければ「おままごと」は非常に淡白なものになってしまう。端的に「作成→販売」の形態がやはり分業化された社会を模すとともに遊戯にドラマをあたえるのでは?

販売員だ、販売員が必要だ。

そうか、ここでやはりなつかしき「ケーキ屋さん」ごっこが登場するのでは?

 販売と制作に分かれたらば、販売にはお客様とのドラマがある。

しかし制作側はどうだろう。そこにバンビーノばりの人間ドラマはあるのだろうか?

やろうと思えばできるであろう、しかし彼らは純粋に制作を楽しみたくてそちらを選んだのではなかろうか?

 しかしケーキ屋さんである場合ケーキだけを淡々とつくることになる。機械のようにただただ二等辺三角形を形成してばかりじゃつまらないじゃない。

それよりシュークリームやら名前の分からないなにやら様々な種類のそれを作るほうが楽しいじゃない。

 

 ということでケーキ屋さんは却下。スイーツ屋さん採用。

 

でもぼくは ケーキ屋さんて言っちゃうよ

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たしかに言葉は変わっていくものだけど、いまはその過渡期なのかぼくはまだ「スイーツ屋さん」という言葉に違和感を抱いてしまうし「スイーツ屋さん」とは言えないかな。

 

これが歳をとる、ということなのでしょう。

 

いつの日かぼくが息子に「ケーキ屋さんいこうか」とか言ったら

「スイーツ屋さんでしょ、なにいってんの」とか言われないか恐れおののいもこ。

 

あぁ、心配で夜しか眠れない。