まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ピアノは鍵盤楽器ではありません

 

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「ピアノは鍵盤楽器じゃない」と主張している。だいたい、はぁ?と言われる。ばかだと思われているかもしれない。でも仕方がない。男の信念はかんたんにゆるがない。

 

私は「ピアノは打楽器」と言う人間が好き。その演奏方法も含めて。さいきんスタイルカウンシルを聴いていて思った。ミックタルボットのウィキペディアを作って欲しい。

 

ピアノは、鍵盤をぽんと弾くことにより、内部構造のハンマーが張り巡らされたピアノ線を打叩、発音する。つまり打楽器であり、弦楽器。打弦楽器というのが正しい。

 

鍵盤というのはつまり手段。操作パネルであり、コントローラ。ピアノを鍵盤楽器というならば、バイオリンは弓楽器というのか。ギターはピック楽器というのか。ドラムは棒楽器というのか。

 

世の中に浸透しているモノの名称が気になる病気をもっている。ずっと気になっているのは「原付」という名称。

 

原動力付自転車を原付という。その認識はある。ちゃんとホンダカブとかスクーターが思い起こされる。人間社会を30年間生きている。ダパンプとかブイシックスとか見て育った。

 

まず、原動力というばくぜんとした表現が気に入らない。ここに主たる意味がない。なにが原動力?と思う。電気なのか。核なのか。水素なのか。友情なのか。仁義なのか。勇気なのか。愛なのか。それとも、神なのか。

 

そして原付。原動力が付属している、という意味だろうが、なにに?と思ってしまう。略すならばせめて主語をすこしだけでも。と思う。

 

電車、つまり電気力作動列車だってきちんと主語がある。列車の「車」が残っている。だからあれはわかるが、原付。なにに?なにに原が付いてるの?って思う。純粋すぎるのか、おれは。

 

原チャリという言い方であれば許せる。原動力付きチャリンコ。まぁそれは寛容になれるのだけれど、あら不思議。じゃあチャリってなに?ってなってしまう。チャリ。チャリンコ。自転車だという認識はある。でも、ここでもちょっとまて。と思う。

 

自転車をチャリンコ、略してチャリという。しかしじっさいチャリチャリ鳴っているのは付属の警鐘、つまりベルであり、自転車は漕ぐとシャコシャコ鳴るものである。だからシャコリンコと形容すべきでないのか。リンコどこからでてきた。

 

なので原動力付き自転車は、原シャコと言うべきでないのか。原チャリというのは石油燃料で鳴らす鐘のことではないのか。しかし、なぜあんなちいさなものわざわざ石油燃料で打ち鳴らすのか。

 

しかしけっきょく、原付や原チャリという表現が浸透している。だから仕方なく原付なんていう表現をつかう。ここで怒りの矛先は自転車の威厳のなさ、に向けられる。

 

自転車がもっと主張をしていれば「原付」なんて主語のないことばが横行することもなかっただろうし、その形容をあんなちいさなベルに奪われることもなかっただろう。

 

男ならもっと信念を持つべきである。ばかにされようと、自分を出すべきだ。私のように。主張をまげるな。心に旗をかざせ。まぁ自転車が男なのかはわかりませんが。