まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ウィンカーを出すタイミングでマウンティングをうけた日曜日の昼上がり

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ちょっと聞いてくださいよ。って文句ではじめてみましたが、私は誰に言っているのでしょう。ブログというのは孤独な作業であると思う。ここにいるのは私だけ。目の前には0と1の集合体。しかしこのディスプレイの向こう側、誰かがきっと待っている。私の日記を見てくれる方がきっといる。そう信じている。さぁ、いまこそ闇を切り裂きその一歩を踏み出すんだ。きっと目の前には燦然と輝くスターがたくさん見つかるのだから!ってなにこれ。

 

過日。私は、妻と息子、妻の友人を車両に搭乗させパン屋さんにパンを買いに行った。

と書いたところで疑問が湧きました。

パン屋さんにはパンを買いに行くところなので「パン屋さんに行った」で説明がつかないものか。つまり「パン屋さんにパンを買いに行った」というのは「頭痛で頭が痛い」と言っているようなものではないのかしら。

ふつう「パン屋さんに行った」の一文で誰しもがパンを買いに行ったと推察できるのではないでしょうか。だってパン屋さんはパンを買いに行くところなのだから。もし仮にパン屋さんにパソコンを買いに行くのであれば、それは「パン屋さんにパソコンを買いに行った」と記載すべきである。なぜなら一般的な感覚であればパン屋さんにパソコンは売ってないから。でも私たちが買いに行ったのはパンであり、それはパン屋さんに赴く純然たる理由なのではないかしら。だから「パン屋さんに行った」という一文で片付けたほうが字数も少なく、物語が伝わるのではないかしら。だって誰もパン屋さんにパソコンを買いに行くとは思わないのだから。だから書きなおすべきである。過日。私は、妻と息子、妻の友人を搭乗させパン屋さんに行った。と。

 

私が心に衝撃を受けたのは妻の友人の一言である。

「ウィンカー出すのはやくね?」

 

なんだろう。この気持ちは。なんだかまるで私が小さい男であるかのような発言に思えた。でもでも早く出すのに越したことないでしょう。

たしかに私は左折の合図を出したとき、手前30メートルからそれを出した。しかしその手前15メートル先には左折する小道があった。つまり妻の友人が言いたいのはこの瞬間に方向指示器を明滅させると、この手前15メートルの小道を曲がるのか、と思われる、ということである。

 

しかし私も頭の固い頑固ちゃんなので、反論いたした。「教習所では30メートル手前からウィンカーは出す、と学習した。つまりこの15メートル先の小道を曲がるのであればこの15メートル先の小道の手前15メートルの位置、つまりはこの小道から計上して30メートル手前でウィンカーを出すべきなので私は間違っていない。」と。

そしたらなんて言ったと思います?ってこれも誰に言っているのやら。

「でもこの15メートル先の小道の前のさらに15メートル手前、つまりこの小道から計上して30メートルの位置でウィンカーをだしたら、先ほど通りすぎた自動車ディーラーに入ってしまう、と思われるのでは?」ですって。

はぁ?ですわ。屁理屈はなはだしくもはやばかの極地。

私がさきほどから申し上げているのは、方向指示器を出すのは曲がりたいところの30メートル手前からであって、もしこの自動車ディーラーに入るのであればこの自動車ディーラーに差し掛かる30メートル先で方向指示器をだすべきだ。と言っているのがどうやらわかっていないようでした。

 

挙句の果てに言われたのは「そういうとこ女々しいよね」です。

 

見上げた根性である。いったいどういった初等教育を施せばかくなる人物が形成されるのか皆目見当がつかぬ。熊にでも育てられたのだろうか。

 

おそらく彼女はこの世のなかに反骨を精神をいだいている。それはつまり「教習所でならったことをちまちまと遵守しているなんて男の風上にもおけない」ということですか。

 

これは少年時代抱いていた「ルールに縛られない自由なやつがかっこいい」みたいな思想ににている。中学生はちょい悪がもてるのです。そういう感じです。

いやちょっと違うかも。これはおそらく、「車社会の荒波にもまれたならば教習所で得たものはじっさい使えないと気づくべきなのに、きみはそうやって指導されたことがすべてだとおもっている時点で精神的わかばマークが除去しきれていないね。もっと車社会の荒波にもまれてでかい男になりなさい。」ということな気がしました。

 

つまり私は愚弄されたのです。これはマウンティングというやつな気がしました。

つまり方向指示器を遅くだせばだすほど車社会の経歴がながく、プロフェッショナルということなのである。だから方向指示器をできるだけ早く出そうとしている私は心配性のうさぎちゃんであり、まだ教えられたことを守っている、もしくは車社会の実務経験が軽薄な、もしくは車社会での経験はあっても教鞭をうけた範疇でしかものごとをかんがえられない、総じて、ぽんこつだ、と思われたわけですね。

 

だから私はせいいっぱいお酒をのんで今日のことを忘れようとおもいましたが、こうやってながなが愚痴をかいてしまうのです。ぽんこつですよ、わたしは。酩酊している。