東京にでてきてひとり暮らしをはじめた。なんだかレオパレスのコマーシャルみたいですね。ナレーションは広瀬すず。猫みたいな名前。かーわいい。
おれは逐電してきた。地元は静岡だけれど、おれは静岡がきらいだった。静岡がきらいなのではなく、母親がきらいだったのかもしれない。
母子家庭なので土日など、常に母はいない。働きに出ていた。つまり実家のときも、きほんずっとひとりだった。
小五の時分からだいたいひとりでなんとかやってきた。昼餉も夕餉もカップ麺やお菓子でなんとかしていたし、祖父母の家も近かったので、なにかあればそこに行くことになっていた。
でもおれはひとりでいるのが好きだったし、だれからもなにも諫言されないおれ秩序の、おれ王国を築き上げていたので、大満足だった。
だから「一人暮らしなんてちょろいな」となめくさっていた。むしろおれの生活に介入してくる煩冗で雑駁なものが限りなくゼロに近づくから、ウルトラスーパー幸甚の至り、みたいなかんじだった。
寓居は日当たりのわるい場所にあった。地下鉄の駅から出て、国道を渡った高架線のしたの、複雑に分岐した路地に入り、うらぶれた蕎麦屋をとおって、みじかい坂をのぼったりくだったり、歩いて七分くらいの場所にあった。
家賃は六万八千円だった。ユニットバスで、なによりIHコンロ、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、エアコン備え付きという、築二十年の物件にしては贅沢なシステムが構築された部屋だった。
おれは軟弱な仕送りなど貰っていなかったので、奨学金とバイト代でなんとか生きねばならない。しかもまだバイトの目処はたっていない。貯金を切り崩していくしかない。ゆえにおれは引越しの当日から質素倹約につとめた。
すこし歩いた先にコープがあった。そこでキャベツと一袋398円のウインナーを購入した。あとは米を炊いてそれを食おうとおもった。ウインナーは一日二食にすれば三日くらいは持つ算段だった。
おれはよく実家でも焼きそばを作っていたし、「焼けばなんでも食える」という狩猟民族の遺伝子が、おれを自炊に奮い立たせていた。
まずキャベツを切った。シンクとコンロしかない狭い台所で、なんとか俎のバランスをとりながら切った。そこで意外なことが判明した。
キャベツは切ると増えるのだ。なにを言っているのかわからないやつはきっと一人暮らしをしたことがないだろう。キャベツは切るとなぜか増える。おれはさっそくひとつの真理に触れてしまった。ラヴォアジエも舌を巻くだろう。
あまりにも多いキャベツに困惑した。だが、まだこれを炒めるという使命が残っている。物語はまだつづくのだ。
おれはIHコンロにフライパンを載せ、あぶらをひき、火力をマックスにしてウインナーとキャベツに熱を通した。しかし、なんということでしょう。IHコンロは途中でけたたましい電子音をあげ、途中で運転を停止したのだった。
原因はフライパンがIH対応ではなかったためだった。おれの慎ましくもいじらしい質素倹約に努めようとしたこの心は、無駄にすすんだ文明の発達により見事に打ち砕かれたのだった。
くやしかった。東京に出てきたのが間違いだったのだろうか。おれは一生をあの家庭という檻のなかで生きるべきだったのだろうか。そこは安全で、三食のメシがでる、生きるのに困窮しない場所だ。
だが、そこにいればおれの爪は管理され、牙も丸くなるだろう。
おまえはそれでいいのか?
なにが正解なのか。おれはわからなかった。いまだってわかっていない。だけど「生きる」というのは涙を流したぶんだけ実感できるのではないだろうか。
おれは白米だけを食らった。生きるためだった。まだ新品のにおいの残る炊飯器で炊けた、おれのはじめての東京での自炊は、すこししょっぱい味がした。