まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

お食い初め

 ジャンル的には「ほのぼの育児系ブログ」を目指しているのだけれども、どうもうまくいかないのは、やはり育児というものは、ほのぼの行うものでなく、ちょっと屍山血河、みたいなかんじだからだろうか。四歳児は今日もげんきいっぱい。

 

 そんな元気な長男に対して、生後数ヶ月の次男というのは、まさに「ほのぼの」という形容が相応しく、はっきり言って超イージー。むろん、妻がよく世話をしてくれている、という紛れもない事実の上になりたっているのであるが、小さなテロリストという二つ名をもつ四歳児に比すれば、赤子も同然。

 

 そんなこんなで、次男が呱々の声をあげてから、約百日という劫を経た。そのために、「お食い初め」という儀式をおこなったのである。場所は、埼玉の飲食業界を牛耳る馬車道グループが展開する「徳樹庵」である。すきとおった冬晴れの気持ちの好い午であった。

 

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 お食い初め御膳。たしか三千円くらいだったとおもう。食うものに困らぬようにと息災を願うまじないが込められているという。たぶんバイトが作っている。時給千円のまじない。食い物の困窮は親の双肩にかかっている気がしなくもないが、鰯の頭も信心からと文言もある。おれ、妻、四歳児と、次男に食うまねをさせ、御膳自体はおれが食った。


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 おまけの赤飯がお持ち帰りパックで二つ付いてきた。赤飯は冷たいほうがうまい。

 

 四歳児はお子様セットのようなものを注文していた。その脚注に「おもちゃ付」と記載されていたからである。原価が二十円くらいの、樹脂を固めただけのごときおもちゃであった。あんまピンときてねぇ容子であった。

 

 部屋は半個室になっていたため、非常に気楽に食事ができた。長男のときは木曽路というノーパンではないしゃぶしゃぶ屋でおこなったが、あそこはちゃんとした個室だった。けど木曽路はちょっと高額で、葦に浮かんだ朝露を舐め日々を凌ぐおれにとってはけっこうヤバい店である。

 

 家で行う、という選択肢もあったが、まず鯛を釣るためには海老がひつようであり、四歳児の好物が海老であるため、釣っても釣っても長男。という結果になりかねないため、外で食った。そういえばさいきん、四歳児が外食に耐えられるようになったのである。

 

 生得的に落ち着きがなく、三歳児検診では特別相談室に連行されるという前途洋洋、華々しい経歴をもつ四歳児であるが、頃日では「待機」ということができるようになった。むろん、それでもうるせぇときはあるが。

 

 次男が産まれ、赤ちゃんがえり、ということはなかった。けれども、やはりどこか甘えたいようで、次男を抱っこしていると「おれもそうやってだっこしてくれよぅ」と言ってくる。狂おしいほどにキュートである。抱っこしちゃうぜ。しかし十八キロ。これほど地球の重力を恨んだことはない。

 

 ゼロ歳児もかわいいが、おれはそれでもやっぱり長男のほうがかわいい。まず顔の造形が圧倒的にかわいい。次男は赤ちゃんという免罪符があるために、息をしているだけであどけなくかわいいが、長男は顔と声と性格がかわいい。ゼロ歳児の顔は熊五郎みたいなかんじだが、長男の顔はシャルルみたい。上品。プリンス。

 

 四歳になるとけっこういろんなことができるようになる。トイレもできるし、物を食うのもうまくなる。テレビをつけプライムビデオも操作できる。そしてなにより精神が備わってくる。ゼロ歳児の世話があるため、育児の負担が増えるかとおもったが、四歳差であれば、係累たる二親の助けがなくてもなんとかなっている。これが二歳差や三歳差であるとおもうと血が凍るおもいである。みんなすげぇよ。

 

 よってお食い初めは、なんのドラマ性もなく、無難におわった。だから「息子が食い終わってしまったので、おれの食事時間二秒」みたいなこともなく、つまらない日記になってしまったけれども、こうして日常が流れ、息子たちは大きくなってゆくのだなぁと感慨深い日であった。