まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ポコペンを知らずに図に乗る木村文乃似の妻

 

妻が調子に乗っている。芸能人に似ていると言われたからだ。

ちなみにその芸能人とは木村文乃という女優。私はその人物を知らなかったのでスマホで検索したところ美人だった。しかし、まぁ、うーん、ぶっちゃけ、その、けっこう似ている。調子に乗っているのは私なのか。

 

ちなみにちょっと前はガッキーに似ていると言われ図に乗っていた。ガッキーの髪の毛が長かったころ。妻はほくそ笑んで報告してきた。まぁそれもわからなくもない、というのが私の所感だった。木村文乃と新垣結衣似の妻。やはり調子にのっていると思われそうだ、俺が。

 

妻なりに、この「似てる」といわれる要因が気になったようで自己分析してみたようだ。

するとどうやら、頬の面積と上唇のうすさ、が関係あるのでは?と帰結した。顔面における頬の面積のバランス。また、笑うと無くなるうすい上唇。なるほどなぁと思った。たしかに渦中の芸能人ふたりはその点で似ている。妻もそんな感じ。ただそれだけ。あんなに美人ではない。私にとって世界一美人だが、というフォローも入れておく。

ちなみに私はこの顔面のバランスにだまされ、妻は木村カエラに似ていると思っていた。リルラリルハのころ。昔はかわいかった。

 

調子とは加速度的に増長するもののようだ。

このとき妻のなかに慢心が湧いていた。

 

おそらく「ポコペン」という遊びはだいたいの人間が知っていると思われるであろう、いわゆる「缶無し缶けり」。ふっとポコペンに対する認識が不安になったのでちょこっとインターネットで調査したらばローカルルールとかもあるし全国的な遊びのようだった。よかった。私は間違っていない。

 

Zoey counting for hide and seek


しかし妻はポコペンを知らないようであった。「ポコペンポコペンだーれがさいしょにつっついたポコペン」のフレーズに、なにそれ、と返答された。衝撃だった。ちなみに妻とは同い年である。

 

このポコペンは私たちが小学生3年~6年くらいまでの間に流行していた。ギリ90年代といったところか。ポケモン並みのロングテールであった。とちゅうで氷鬼や高鬼などの鬼ごっこの派生が伝播したが、しょせんは一過性。ちいさな波紋をたててはいたが、結局ポコペンという本波にかき消されていった。

 

それを知らない妻。田舎の子だからだろうか、と思ったが、僻地での生活にコンプレックスのある妻。その逆鱗に触れぬようこの話題を黙殺しようとした。そのときである。

「田舎のあそびでしょ?」

妻の発言であった。こともあろうに自らの生誕地を飛躍させてきた。説明的な文章になるが、私は静岡市というシティに生まれ育ち、妻は焼津市とかいう漁船とカツオとヤンキーしかない漁村の生まれだ。都市の洗練具合では比較対象にもならない。ホモ・ハビリスとホモ・エルガスターくらいちがう。

 

なにが妻にそう言わせたのか。彼女も田舎と都市の差は認識しておるはずだ。

やはり前述の「木村文乃似事変」で妻のおごりに助走がついたようだった。「だってあたし、木村文乃に似てるもん」といわんばかりだった。それはまったく関係の無い話しだぞ、と思ったが私は押し黙った。そのときはポコペンに対する認識の不安があったし、これは泳がせておけばおもしろいぞ、と思ったからだ。

 

じゃあなにしてあそんだの?と問うたらば我が家の木村文乃は「こおりおに!」と答えていた。大きな都市でのちいさな波紋は、ちいさな集落で大きな波であったようだった。

 

そっか。こおりおに、俺もやったよ。なんて言っては気位を高く保たせたまま、なんとなく風呂掃除は妻にやってもらった。なんか知らないが合唱曲を口ずさんでいた。「たとえばきみがーきずついてーくじけそうーになーったときはー」ってヤツ。さいきんテレビの宣伝で流れてた。妻は調子に乗り、私の策略に乗り、さらには流行にも乗っていた。ポコペンの波には乗れなかったようだが。

 

ちなみに私は動物のコアラに似ている。うぬぼれも抱けない。抱くのはユーカリの木ですか。なんてね。ははは。

 

今週のお題「何して遊んだ?」