「ごはん食べれる?」なんて妻が言うもんだから、「おまん、それラヌキ言葉だで」つったら、妻はきまりの悪そうな顔をして、「でもさ、それはもう定着してるからラヌキ言葉じゃないよね!」なんておっしゃっていました。
自分に甘い人だな、と思います。なぜならば妻はいつも「ラヌキ言葉がきらい」なんて言っているからです。
ラヌキ言葉と表記したしましたが、これじつは「ら抜き」言葉のことです。いま世間に横溢してませんかね。私はA型のみみっちい人間なので、すごく気になってしまうのです。あ、また「服着れる?」とか言うでしょ。着られる、ですよね。「着る」は上一段活用ですよ。
テレビ番組も悪いと思いますよ、私は。と倒置法を使ってみましたが、そう思うのです。
先前、テレビジョンに受像されたラーメンの映像を眺めていたら、テレビタレントかなんかが「たまご、つけれますか?」なんて言うんです。
いや、いいんです。言う分には。けどさ、テロップというんですか。まぁ字幕ですよ。字幕はしっかり記載しないといけないと思いませんか。良識ある大人の日本人がテロップをつける際には正しく放映してほしい。だからせめてテロップには「たまご、つけ(ら)れますか?」と記載してほしい。というのがさいきんの私の瑣末な願いごとなんです。
しかし静岡人が「ら抜き言葉」を使うのは仕方ないかな、なんて思います。
申し遅れましたが、私と妻は静岡で生まれ育っています。いまはすったもんだがありまして埼玉に亡命してます。命からがら逃げ込んだ武蔵野の地に居をしつらえ、もう10年ほどになります。
そんな私たちですが静岡の血に抗えず、ごくたまに静岡弁をつかってしまうのです。めし作らにゃあいかんだで。とか、とんで帰るずら。とか言います。スーパーもちづき*1行かざぁ。とか、さわやか*2行くだでぇ、とか言います。
本当はそこまであからさまではないです。しかしまじで出ちゃうのが、語尾の「ら」です。
これは「お茶飲んだら?」みたいな感じに言います。ちなみに提案の「ら」ではありません。静岡人の語尾の「ら」は過去推量です。「〜したでしょう?」みたいな感じです。
つまり「お茶飲んだら?」は「お茶飲んでしまったでしょう?」って具合です。主に確認のために使用します。返答も「らぁ?」なんてします。「たしか…飲んだかなぁ?」ってニュアンスです。だから良い加減のときは静岡人ってのは「ら」だけでなんとなく意思疎通が図れるんですね。「ら?」「らぁ?」なんて。意味は「したよね?」「したかなぁ?」って塩梅です。
そんなゴビラ*3が染みついているんです。だから静岡人が「ら抜き」しないで言語を発するとなると、「食べられるら?」となってしまいます。
これ、一度声に出して言ってみてほしいです。
たべられるら。
むずかしくないですか。たべrrlrlら、みたくなりませんか。RとLが唇の先でからまりませんか。「られるら」の前の「た」のtの舌先の跳ねる感じと「べ」のbの唇を紡ぐ感じがまたやっかいですよね。
だから私は静岡人が「ら抜き」言葉を使うのは、言葉の伝達のしやすさ、言いやすさといったポイントにおいて言語の進化だと思っています。つまり静岡人は「ら抜き」言葉を唯一使っていい人類なんです。
となると、さいきん「ら抜き」言葉が多いのは静岡人が世間に増加しているってことでしょうか。静岡の人口が減っているらしいですからね。