まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ツイッターには「半年ROMってろ」と言ってくれる優しい人がいない説

 ツイッターで政治家みたいなのと一般人が喧嘩していた。他人の喧嘩ってめっちゃおもしろいよな。勉強になります。そのなかで一般人が「巣窟(すくつ)」という表記を使った。それについて政治家側が「ソウクツです。ちゃんと日本語を勉強したらいかがですか」的な扇情的リプをかえしていた。

 

 とても「マジレス乙www」と言いたくなったが、こんなことでFF外から失礼するのは、彼らの熱い甲論乙駁のさまたげになってしまうので遠慮しておいた。それに「ソウクツです」とおっしゃる人びとには、これも通じねぇな、と諦念を抱いていたからというのもある。

 

 政治家もネットで意見を発信する時代である。きっといままでスクツという表記をみてこなかったのだろう。真面目がエコーチャンバー。あとたぶんスクツって死語だよな。でも個人的に、増冗慢な意見だが「それくらい知っとけよ」ともおもってしまった。

 

 頃日。ネットにネットによる不祥事が流れるたびに、ばかだなー、とおもうと同時に、かわいそうだな、とも憐憫してしまう。飲食関係のバイトの動画とか。おれはこれは「恒産なくして恒心なし」的なことではなく、ただ単純にセンスが馬鹿ということだとおもう。ほんとシンプルにそれだけ。

 

 センスが馬鹿だからといってネットをしてはいけない、というのは人権の侵害である。ネットなくして現代社会を切り開くのは至難である。それに「馬鹿でもネットしていいんだよっ!」と、いまのプリキュアならきっとそう言う。けれども、或る程度そのネットのセンスを磨く必要はあるとおもう。

 

 センスを磨くためにはどうすればいいのか。やはりおれは「半年ROMる」というのが定石だとおもう。

 

 高校生の砌。2ちゃんねるという掲示板を見たり、趣味の掲示板などでカキコミをしていたが、ネタにマジレスしたり、ちょっと調べればわかる白けたことを書いてしまうと、「半年ロムってろ」と返信された。そういわれるたびに、瞋恚の焔を宿し「おれここに初期からいるんだよッ!」などとちっとも誇れることではないネット廃人をぶりを主張したものである。かなしい青春である。

 

 いまおもえば、あれは優しさであった。「ネットに来たばかりで右顧左眄しているのかもしれないけれど、ちょっと様子をみていればわかるから。OJTだから」ということだったとおもう。言葉は峻烈であっても裏地にはやわらかい愛があったのである。

 

 しかしおれはここさいきん「ロムってろ」という諌言をあまり見かけない。そういえば不祥事の動画の出所は、バカッターなどと言って、おもにツイッター経由なことがおおいらしいが、おれがおもうに、ツイッターでは「半年ROMってろ」と慈愛に満ちたことを言ってくれる立派な大人がいないのである。

 

 これは困ったことである。ロムらずにネットをするのは、泳ぎ方を知らずに海に飛び込むごとき自殺行為に似ている。いみじき僻事である。現代人はおのれが発信に力を注ぐ一方で、他人への思いやりの心を忘れてしまったのである。

 

 夫子の道は忠恕のみ。だからおれはここでワンポイントアドバイスをする。すなわち、ツイッターやインスタなどのお手軽にネットに介入できてしまうシステムには、「アカウント開設から半年はロム専」にする、というご提案である。

 

 ネットにおいて、ロムるというのは、この泳ぎ方を知るための枢要なステップであるとおもう。まぁまさか本当に半年ロムるひとはいないとおもうけれども、なんかそういうコピペむかしあったよな。三年ちゃんとロムったぜ! みたいなの。律儀なひともいるものである。

 

 ただこれには、ネットにバカが出現しなくなる、という重大な危険性もはらんでいるということを指摘しておきたい。ネットに馬鹿がいなくなったらネットがつまんなくなる。はっきりいってこれが一番困る。

 

 ネットも昔と変わったよなーとか加齢臭じみたことをおもいつつも、しかし、こういった不祥事が散見されるたびに、「ちょっと悪いことをするのがかっこいい」という青くさい男児の美学は、今も昔も変わらないのだなー、ともおもう。それが警察沙汰になっちゃったりでもうたいへん。変わるようで変わらない世界である。

 

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (河出文庫)

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