まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

髪型自由のバイトが過酷だった

 

かつて人と森がひとつだったころ私はバンドマンだった。ロックに幻影をいだいていた。ゆえに長髪だった。なぜ長髪かというと理由がある。それは演奏中に毛髪で顔面を隠蔽したかったからある。それがバンプオブチキン爾来のトレンドだったからである。バンプが変えたのはバンドマンの髪形である。

 

しかし長髪ゆえに困惑することがしばしばあった。それは長髪アマチュアミュージシャンに与えられた天命であった。つまりそれはアルバイト先がなかなか見つからぬ、ということであった。

 

昨今のアルバイト情報は把握していないので未知である。がしかし10年ほど前は「髪型自由」というバイトは稀有だったように思う。じっさい私は「髪型自由」のバイトの捜索に翻弄されていた。しかし髪を切る気は更々なかった。髪を切ったら死ぬると思っていた。

 

しかし神は私を赦した。髪型自由のバイトが見つかったのである。それは頭部にタオルを巻くスタイルの焼肉屋のアルバイトであった。

 

申し上げる。過酷であった。やつらは髪型自由の条件を質にとり、私を苦しめた。「ここ辞められないでしょ?」的なニュアンスを出していた。

 

あまりに下劣な手口であった。人間はこうも人間に残酷になれるのか。切歯扼腕。私はいつも慟哭したかった。

 

まずタイムカードがあってないようなものであった。給与が労働時間に対して少なかった。そして労働の契約時間が守られなかった。体育会系のリズムであった。入ってくる人間が続かなかった。などなど事例を挙げれば永遠が終わらない。しかし、その最たるものは「まかない料理が思ってたんとちがう」ということである。

 

焼肉店でのアルバイトである。なのでもちろん牛の肉が食えると思っていた。バイトの条件にも「○○円分までまかない料理無料!」みたいに書いてあった。しめしめと思った。念願の牛の肉である。ちいさな頃から憧れた牛の肉である。将来の夢に書いた「牛の肉が食いたい」という小4の夢が叶うときが来たのだ!

 

しかしそれはちがった。おもってたんとちがった。それはごはんもののみであった。つまりクッパやビビンバや冷麵といったものだけであった。

 

クッパやビビンバ、冷麵でも良いじゃないかと思った。私だって最初は思った。しかしこれがずっと続くと流石に飽きる。軽い刑罰を受けている感覚があった。無料飯であるが苦痛であった。飯をいただくのがこんなに苦痛だとは思わなかった。そんな自分がとても卑小であった。私は恥辱にまみれた。そしてまた辛くなった。牛の肉を運んでいるのに食えない自分が苛立たしかった。

 

そんなアルバイトを辞めた。それは髪を切ったからであった。髪を切ったのはバンドを辞めたからである。そして、ついでにそのとき持っていたものを殆どすべて捨てた。断捨離とかいうものではなく現実からの逃走であった。しかし妙に清々しかったのを覚えている。

 

先日の日曜。髪を切った。前髪は眉上まで、耳が露出するように。刈り上げずに、あとは適宜長さをそろえてくれ給え。というのがいつもの注文である。

 

「髪をすこし短くした」と歌っていたのはグレイプバインである。「風待ち」という名曲である。歌詞が素晴らしい。自分の立っている場所を見つめるときに思い返すのは、いつもこの歌である。あとサビのコードのオーギュメントがまじ最高。なんでここで!と思ういっぽうで、こうでしかない!という使い方。すげぇ!

Circulator(サーキュレーター)

Circulator(サーキュレーター)

 

髪を切るたびに風待ちをすこし歌う。そしてすべてを捨てたあの日を思う。と書くとめちゃくちゃ格好良く下げが来てしまうので、最後に、神が立った上方の髪型、とか言って終わりたい。さらば青春。

 

今週のお題「髪型」