まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

友人と飲むうまい酒はそもそも味なんて関係ない

ニルバーナというアメリカのバンドがいた。カートコベインというカリスマロック歌手が在籍していた。彼は94年の春に自決した。錆び尽きるより燃え尽きたかったそうだ。

 

彼らのヒット曲にスメルズライクティーンスピリットという楽曲がある。それが店内に響いていた。尺八バージョンだった。私はカートコベインが自決を選んだ気持ちがわかった気がした。この尺八バージョンを企画した人間には一生わからない気持ちだろうなと思った。

 

そんな尺八が鳴り響いていたのは新宿のとある居酒屋である。

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麦酒を流通販売するヤッホーブルーイングという株式会社が運営しているものであった。もちろん彼らの代表作ヨナヨナエールという上面発酵の麦酒を取り扱っていた。

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飲み比べセットというのを注文した。すべてうまかった。

こうして情報を書き、ぎりぎりのところでブログの体裁をとっている。これは私の日記であるが、日記といえどもウェブ上にアップしている時点でブログである。つまり公益的でなくてはならない。

 

こうして思うことは「ブログとしての日記なのか」それとも「日記としてのブログなのか」ということである。

 

ブログとしての日記であれば腐ってもブログなのでもっと読み手に利益がなくてはならない。しかし日記としてのブログであれば、飽くまで日記である。私に興味のある人しか読まないわけであって私的に徹することができる。

 

果たして私に興味のある人などいるのだろうか。

友人のフクダくんは私に興味のある人だと思う。そんな彼と新宿に行き、ともにグラスを傾けた夜があった。それがこの夜だったのだ。

フクダくんはふだんはサラリーマンをしている。人々の不安を扇動し保険を売って生計を立てている。そんな彼はドラムを叩くことをなによりの喜びとしている。私と出会ったのも彼のドラムを通じたものだった。

 

人間として心がずいぶんとねじ曲がっているので斜に構えたドラムを叩く。しかし情熱的でタイトなドラムだと思う。演奏にはその「ひととなり」が出てくるものである。

 

新宿三丁目まで徒歩によりて参じた。「そのティーシャツ5年前から見てるわ」と言われた。お気に入りのダイナソージュニアのものだった。俺はミニマリストなのかもしれない。

 

丸港水産という居酒屋ののれんを押した。魚介類をコンロで焼くスタイルの店だった。17時30分はハッピーアワーだった。ビールとハイボールをたくさん飲んだ。お互いの近況や良いドラマー、良い演奏の話をした。スカパラの欣ちゃんがオープンハンドを採用している理由が笑えた。好きなドラマーとして私は玉田豊夢を挙げておいた。フクダくんはビッグバンドビートのミッキーマウスだと答えていた。ハハッ。

 

2件目はワインを飲んだ。ピザが500円とかの店。店名は忘れた。グラスワインを3杯ずつ飲んだ。重いシラー種が好きだが、軽く華やかなピノも好き。しかし味なんてもうわからなかった。すでに酩酊していた。カプレーゼとピザメキシコ味をたべた。イタリアとメキシコの国旗はほぼ一緒だと気がついた夜だった。

 

会計時8000円という数字をみて驚愕した。「おい!飲みすぎた!」と警告したところ、「これ3000円やん」と言われた。左目のコンタクトの調子がおかしい。円錐角膜を呪った。

3件目は上記の店である。ここは妻への報告を兼ねて写真を撮影した。

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ツイッターに投稿したところいろんな人に「いいね」がもらえた。うれしかった。ブログでさまざまな人とコミュニケーションが出来る。俺はなんとなく、こういうのいいな、と思っている。

 

4件目に突入した。天井から繭に模した個室が釣り下がっているという珍妙な店だった。フクダくんの友人のナスくんもきた。彼はコミュニケーションモンスターですごくおしゃべりが上手だ。かつて一緒にバンド演奏をしたが、とても良い演奏をする。芸人を目指しているようだ。彼ほどしゃべることができればその願いも叶うんじゃないかな、と思う。豆腐とか食った。日本酒も嗜んだ。しゃべったことは覚えていない。

 

新宿は眠らない街だった。たくさんの人生がそこにあった。気の置けない友人と酒を飲んだ夜というのは、楽しければ楽しかったほど記憶が尻すぼみになっていく。新宿の夜と喧騒に思い出が吸い込まれていくようだった。

 

「また会う日まで」と言って離別した。北上する列車に乗って、しづかに意識が混濁していった。

 

気がつけば見知らぬ駅にいた。本来降りるべき駅から4駅ほど離れた駅だった。「あの駅にはなにもない」とは言うけれど、そんなばかな!なにもないわけないじゃないか!と言っていた自分が愚かしい。本当になにもない駅というのはこの日本にある。嘘じゃない。配車サービスもなかなか来なかった。

 

以下は暇だったので日記を書こうとしてめんどくさくなってやめた内容である。日報というタイトルがついていた。

本日。ははは。本日というか昨日。というか、そういった子午線にて時空を分断することに意味はあるのだろうか?ある。めちゃくちゃある。なぜなら明日、ってか今日はスケジュールが埋まっている。もし今日このスケジュールがなければ私は時間に拘泥されず自由だった。人類はどうして時間という概念を作ったのだろう。作ったのではない。認識し、具現化したのだ。それが時間。移りゆく時の中で、この身に刻まれる心臓の鼓動の進捗を客観的に憂うための時間。じぶんがどこにいるのか。等間隔に設えられた街灯のような

歩いて帰ろうかと思ったが、グーグルマップで検索したところ2時間かかると表示され諦めた。夜風が冷たい夜だった。私は帰ることができるのだろうか…。と心配になったところで心臓の底からぽっと温かい声がした。

ここは地球の上。怖がらなくてだいじょうぶ。

ボーちゃんの声だった。「映画クレヨンしんちゃん電撃ブタのヒヅメ大作戦」で視聴者の心をわしづかみにしたあのセリフが湧いたのだった。

 

すると私の眼前に地平線が広がり、どこまでも続いているような錯覚がした。それは恐れるものではなく、信じることのできるいつの日か昔に見たことのあるような愁眉を開く風景だった。この道を信じてすすもう。迷いと訣別したとき、夜がわなないた。

 

歪んだ夜空は星雲のようにすべてを巻き込み、渦巻き、圧縮していった。それは次第にトランスフォームし一羽の巨大なカラスになった。そのカラスは私の双肩をつかみ夜空を失ったこの空に舞った。灰色の無の空間のなかで私は「17号沿いの牛丼屋の前まで」と願った。そうして無事おうちに着きましたとさ。俺は生きている。