ミクスチャーロックというのもずいぶんと都合の良いジャンルであるなぁと思う。だってミクスチャーってまぜこぜって意味じゃん。
そもそもロックなんていうのは白人による黒人文化の模倣の延長、それは源流をたどればミンストレルショウなんかに回帰すると思うのだけれど、その時点で文化のミクスチャーじゃん。なんておもう。文化、エンターテイメントなんてすべてミクスチャーだと思っている。
Dragon Ashという邦人のバンドがいる。彼らが「MAJESTIC」という新しいアルバムを解放したというので聴いた。とてもよかった。
という感想を以下にぐだぐだと書いてます。お手すきであれば、お付き合いいただけると幸甚の至りでございます。
アルバム全体を通して電子機器を投入した合成音をまとっていた。
それはミクスチャーロックとしての融合というのだろうか。Dragon Ashというロックバンドとしての軸、気骨、本懐に、パーツとして当てがったようなデジタルサウンドとの融合だったと思えた。これは折衷ではないなと思った。Dragon Ashというロックバンドがデジタルサウンドを嚥下した、という言い方が正しいのかもしれない。
それは2曲目の「Stardust」から証明されていると思う。全体的にデジタルエフェクトが満遍なく重ねられているくせに剛健なバンドとして薫りがするなぁと思った。
私が好きだなぁ、月がきれいですね。と思ったのは4曲目の「Ode To Joy」、6曲目の「光りの街」、10曲目の「Beside You」であった。うつくしいほどの長調だった。
「Ode To Joy」なんてのはまさにそれだった。直訳すると「歓喜の歌」なんて具合に眩耀に満ち満ちたサウンドの雨霰にkjのうたうメロディが負けじと映えていた。
「光りの街」のようにサビで半テンする曲がとても好き。突き抜けていく疾走が風景をスローモーションにさせる感覚があった。慈愛の溢れるアルペジオから重奏感のあるディストーションのリフレインがまたカッコよかった。
センチメンタルってさみしい感情なのに灯火のような狷介な希望を感じるのはなんでだろうと思う。それが「Beside You」という曲だった。
ドラムスを担当している方が素晴らしかった。安易に四つ打ちに頼らない。手数が多く、ダイナミクスがあった。これは打ち込みなどのベロシティなどでは表現できない。
タムの回しや、散在するスネアの入れ込み方、右手からはいって右手で抜ける人体構造上のフレーズ、テンポやBPMに捉われず小節のなかで辻褄を合わせることで生まれるドラムリフレインとしてのグルーヴに「俺はロックバンドをやっている」という情熱があった。私はその太鼓にジミーチェンバレンを思った。カッコ良いな、と思った。
ざらつくようなシンセがノイジィでサビで宇宙が誕生するような爆発力のある5曲目の「Singing'in the Rain」ではそのサウンドの反面、メロディが優しく心が凪ぐように自若をもたらした。
冒頭でミクスチャーロックとは都合の良いジャンルだな、と申し上げましたが、既存の概念としてミクスチャーロックというジャンルはすでに存在しているので、その観点から申し上げますと、やはりドラゴンアッシュはずっとミクスチャーロックバンドなんだなぁ。気骨稜稜だなぁ。と感じた。
というのも3曲目の「Mix It Up」、7曲目の「Headbang」にはそのミクスチャーロック節、これは欧米でいうラップロック、ラップメタルなどに類するものだと思うのだが、それを喚起させるものだった。そこにもデジタルの波長が流れる。するととたんに単色のバンド演奏に色彩がもたらされた。しかし、その色は紛れもないドラゴンアッシュの色であったように感じた。
こういったデジタル音色はやわらかい印象を与える。ポップになりすぎる。しかしドラゴンアッシュの場合、甘口ポップにならず、ミクスチャーロックとして消化したミクスチャーロックの色になっているなぁと感じた。
8曲目の「Faceless」もよかった。なにがよかったって「どうもオルタナ直系です」みたいな陰惨としたリフからのサビ。メロコアよろしくみたいなツービートがめちゃくちゃ上がる。
瀟洒なヒップホップサウンドからダンサブルかつ芳醇で鮮明なデジタル音が耳に飛び込む9曲目の「Jump」という曲にはあらためて音楽というのは聴いて心が動くものなんだなぁと思った。
使用しているデジタルサウンドも血が通ったような音色が多いと感じた。というのもやはり、ドラゴンアッシュという生きたバンドに取り込まれたからではないだろうか。なんて思う。フレーズに生命力や光が満ちていた。そんな混ぜこぜが犇めく、しかし醸成された一体感のある「A Hundred Emotions」で締めくくられていた。
とてもいいアルバムだな、と私は思った。