イヤイヤ期という人生のセクションがあるようだ。
それはいわば反抗期のようなものであって、鬱積を言語や態度で表し、世の中に抗うことにより自己を表現する。陳腐であるが、豪儀でもある。私はそう思う。
そんなイヤイヤ期がピークを迎えている。
朝の目覚めがまずイヤイヤである。
どんなに揺さぶり起こそうとしても捻転とするばかり。
まったくもって覚醒する気配がない。
カーテンを破り、まだ誰のものでもない清冽な朝日を寝室に満たしても、その瞼は重く閂をしたように開かない。
「おい。おい朝だぞ」と言われても返す言葉は「まだ寝るの!」である。
家を出る瞬間がまぁイヤイヤ。
まだテレビみる!と意志頑強である。おそらく出立したくないのであろう。
「靴を履き、玄関を出ようとするとからだが動かないんだ」
みたいなのをなんかで見たことがある。鬱。それなのかしら。
とにかく朝、家を出るときのイヤイヤがすごい。暗澹たる心。
保育園で送った時のイヤイヤもすごい。
愛する家族と離れ離れになりたくない。そんな気持ちである。
だから愚図るし、別れ際なんどもタッチをする。
俺に巨額の富さえあれば…ずっと一緒にいられるのに、と思う。
でも現実はきびしー。そしてかなしー。
家に帰ってからもイヤイヤがすごい。
風呂にはいりたくない。そのイヤイヤ。
湿った夏。たくさんの発汗をしている。
流す汗の気持ちよさは知っている。
けれどもこれはそういう問題じゃなく、不精。
そういうことなのだと思う。
こんなイヤイヤで渡世できるのか。と思う。
でもやりきるしかない。そのためにはどうするのか。
たくさんお酒を飲むのである。痛飲。
現実を忘れるため。
とにかくその「現実」とは良い意味で使われることが少ない気がする。
重くのしかかる重圧のようなもの。こなさなければならないタスク。
そんな現実よりも人は夢を見ていたい。夢は素敵だ。
いつだって人は夢に憧れる。夢の中にいたいと思う。
だから譫妄に落ちるため。
その勇猛への誘い水として酒を飲むのである。
三十路のイヤイヤ期、酒で解決。短い日記。