すばらしい!おみごと!粋だね!
って思うのは、今年も懈怠することなく誕生日を迎えるからであって、なんと連続して31回目なんだよ。すごくない?毎年ちゃんと歳とってる。えらくない?
歳をとったらできないことがある。
いまからじゃ医者になんてなれない。学者になんてなれない。
バンドだってできない。スマップにもなれない。
高校球児になって熱い雫をほとばしらせることはできない。
そう思っていろんなことを諦めてきた。
けれども、そんなことはない。
なにをするにも年齢を言い訳にすることはよくない。
自分に限界をつくるな!世間の常識を疑え!文中で一人称が変わったっていいんだよ!
だから俺は眦を決した。もりそばじゃなくカツ丼を食う。
三十路の峠を迎えて、胃袋も静謐な人生をおくりたがっている。
胃袋にしづかに落ちていく蕎麦。
水底の粒子をやわらかく舞い上げるように着胃する蕎麦。
蕎麦まじうまい。うどん?ははは、糖質(笑)。
だからさいきん蕎麦ばかり食っている。
ってでも、これはちゃうとおもてます。
俺はほんまはカツ丼食いたいんちゃうかおもてます。
だって男らしいですやん。蕎麦なんてそんなもん食った気せぇへんよ。
ってなんで関西弁やねん。おまん駿河人ら?
きっと俺は、俺の中で、というか世間からの「目」を意識して、勝手に理想の大人を三十路の自分に投影しているのだと思う。
大人の俺はドリトスなんて齧らないし、リプトンのミルクティーだって舐めない。
映画はゴッドファーザーしか見ないし、音楽はジャズしか聴かない。
猫はシャム猫しか愛でないし、片手にはブランデー。リムジン。邸宅プール。巨大な家。掃除がたいへん。
そうやって選択するものを年齢にあわせて取捨している。
理想の自分を描くために。
おろかだよ…そんなの。
年齢なんて関係ないんだ。
いいんだよ。素直になれよ。もっと自由に生きろよ。俺。
だから食う。カツ丼を。天丼を。釜飯どんを。
だがしかし私は科学ってやっぱすごいと思う。
どんなときでも生体反応はただしく律動するのである。
科学は神。絶対的存在。30にして神の存在に気付く。
まずカツ丼のような重たいものを食うと血糖値が上昇する。
すると、まぁ眠くなる。午。
これはやばい。仕事にならない。
カフェインという薬物もさっぱり効かない。
するとどうするか。居眠りをしてしまう。
でもまぁ仕方ない。うまくサボるのも仕事技術のうち。
ただやはり消化器官の経年劣化はすさまじい。
丼ものを食えば、たちまちにして体が重くなる。
それは体感としても重くなるし、物理的にも重くなる。
胃がずっしりと重く、違和を感じることこのうえなし。
なんなんですかね。あれ。
たくさん食べているからですか?それとも油ものだからですか?
高校生のころはミラノ風ドリアとぺペロンチーノ大盛りを注文していたのに。
自身の器官に重力場が発生している感覚。
それにつけて太りやすくなりましたね。
高校生のころ、つけ麺特盛に〆ご飯をおやつに食べていた。
それでもちっとも肥えることはなかった。
胴回りを憂することなんてなかったのに!
部活はやっていたので運動量はありましたが。
でもやっぱ基礎代謝というものが落ちているんでしょうね。
「もっちー、ふとった?」と言われる恐怖。
でも俺は食うんだよ。カツ丼を。倒置法を駆使して。
でもそれはきっと「年齢なんて関係ない」っちゅう文言に触発され、年齢の壁を超越しようと、逆に年齢を意識するあまり、年齢にたいして、というかこの現実の身体髪膚に対して、反骨の精神をもつ、というある種のパラドックスなわけであって、だから「年齢なんて関係ない」と思っているうちは、それはとても年齢を気にしているということであるから、ほんとうに年齢なんて関係ない、と思うなら「年齢なんて関係ない」なんて言わないと個人的には思うのですが、でもやっぱそういった点で「年齢による選択」ってあると思うんですね。カツ丼より蕎麦をとる、みたいな。
でも、とりあえずダイエットはしたいと思います。なにをはじめるにも年齢なんて関係ないですから。
肌年齢も気になりますね。ドモホルンリンクルしようかしら。
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