まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

地域の自治会は、小学生家族と老人だけでやってほしい

あみだくじ。さいごの選択肢。不可視の開票。そんな奸智姦計により自治会の班長に選抜された。よって過日日曜。自治会の運動会に行った。陽炎の踊る街道。蒼穹に流れる積雲。まだ夏が降っていた。端的に感想を申し上げる。最低の運動会だった。

 

とにかく暑い日だった。子どもはぐずり、悽愴流涕の様相だった。なによりも待機時間などが多く、一日が無駄に永かった。日蔭では涼風が頬を掠めたが、その場所は老翁により占拠されていた。飲料やカキ氷などは自由に食えたが、なによりも弁当が貧相だった。おにぎりふたつに唐揚げがいっこ。とてもさびしい食い物だった。

 

参加者がすくなかった。よって妻がたくさんの競技に参加していた。私もリレーなどを走った。お互いに子どもを見ていた。加齢臭を放つ老翁たちは傍観。醜悪に肥えた中年女性たちは駄弁っていた。暑い暑いと言いながら、なにもせずにただ春風駘蕩に構えていた。私たち夫婦は出たくもない運動会に躍起だった。

 

いま時分、自治会などに入会する人間もすくないだろう。そりゃそうだ、と思う。なぜ金をはらってこんなに塗炭の苦しみを得なければならないのか。得心がいかない。年間で6000円程度である。自治会に入らなければこの金銭も失わず、さらに運動会などにも出ることはなかった。もっと有意義な日曜が待っていたはずである。

 

たしかに、と認める部分もある。こども会である。小学生くらいの年齢の参加者も多かった。彼らはとても楽しそうに振舞っていた。その年齢であればエンジョイできると思う。しかし子どもがまだ小さいうちは、まじで糞。人生において邪魔でしかない。私は瞋恚の焔を瞳に携え、あたりを睥睨することしか出来なかった。

 

子どもは小学生までは目も、手もはなせない。一度は子育てをしてきた老翁たちはそんなことも忘れてしまったのか。我が眷属には2歳後半児がいる。手の付けられない荒くれ者で、妻も私も困惑することが甚大である。もうちょっと大きくなれば落ち着くかな、と一縷の希望は放棄せずにいる。それでも現在がたいへんなことに変わりはない。

 

免罪符が欲しい。そう思う。ってゆうか、そういうのはひまな人たちだけでやってくんない?と思う。専業主婦をしている人もいる。君たち明日も休みでしょ?と思う。なんてことを言うと、専業主婦だってたいへんなんだ! と口吻熱くおっしゃるかたがおられるが、はは。憐憫。君たちのやっていることを私たちは片手間でやっているのだよ。

 

断言すれば。自治会などなんの役にも立たない。ごみ置場の烏害を陳情してもゴミ箱の設置もしてくれない。「網じゃ効き目がない」と言っても「今はそれしか出来ない」と言う。道路の舗装や、街灯の設置は「自身で市か県に言え」という。そういうものだと思うけれども、え? じゃああの金は、こんな下らない、地獄でしかない運動会に使用されるのか? と思うと救済の余地がない。

 

自治会に入会してよかったことなど一度もない。むしろたいへんなだけだ。面倒な役回りが増加するだけだ。ではなぜ入会したの? となるけれども、入会しなければ村八分にされる。私はしないけれども、近所の人間がどう思っているのかがわからない。たしかに近所で入会していない御宅もあるが、奇矯な距離感がある。

 

もちろん掃除当番などはする。住居周辺の仕事はする。でも自治会のそういう運動会やらイベント業務はやめて欲しい。暇な人だけでやってほしい。気炎万丈なのはこども会と老人たちだけだ。

 

町内会、自治会に参加する人が減っているらしい。それはご近所付き合いが減ったのではない。そう思う。時代が流れるうえで、不必要なものは淘汰される。その星霜だと思う。だれも自治会で利益を得ている人はいない。名ばかりの自治。形骸。とにかく日曜は草臥れた。

くたびれて

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