まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

ハイタッチの極意

 共に歩き、共に探し、共に笑い、共に誓い、共に感じ、共に選び、共に泣き、共に背負い、共に抱き、共に迷い、共に築き、共に願い。

 

   と、しつこいくらい共有をおすすめしてくるのはコブクロという音楽ユニットだが、喜びをわかちあうのは人類としてすばらしい行為だとおもう。

 

 そんなよろこびを共有する挙措として、いっぱんてきに普及しているのが「ハイタッチ」という行動である。これはニンゲン特有の行動なんですねぇ。とムツゴロウさんっぽく言いたくなりますね。はっは。でも私はハイタッチが死ぬほど苦手なのです。

 

 過日。息子の運動会が開催された。踊る息子。駆ける息子。笑う息子。飛翔する息子。さまざまな成長をみることができた。しかし、この運動会、もんだいがあった。保護者参加のプログラムがよういされていたのである。

 

 それは簡単な競争だった。八人でひとチーム、そのなかで見知らぬ保護者とコンビを組んだ。そうして四チームの勝ち抜き闘争をおこなったのだが、われわれのチームは見事に勝利をつみかさね、優勝したのである。

 

 さいごの試合。われわれはアンカーだった。ゴールの先には味方の小隊がいる。やった! 優勝だぁ! とおもった矢庭に、私の心臓を、途轍もなく冷たい闇がおそった。コンビを組んだ保護者が、諸手をあげ、チームにハイタッチを求めていたのだ。

 

 そのハイタッチは、小気味のよい音を立てて歓喜の祝砲となった。そんなふんいきのなかである。私もハイタッチを求められる。中空に浮いた戦友たちの掌には、幾戦もの傷が刻印されている。無視することなんてもちろんできない。私は、その手を上げた。

 

 それはみじめなハイタッチだった。とても貧相なものだった。私はどうもうまくハイタッチの間合いがつかめないのである。あの時、嬉々として潤んだあやな先生のハイタッチを、私はむざむざと台無しにしてしまったのだ。その夜、私はたくさんお酒を飲んで暴れた。

 

 いつもこうである。このていたらくである。小学校のミニバスの試合も、中学の体育祭も、高校の文化祭も。いつだって俺はハイタッチに悩まされてきた。どうしたって俺にハイタッチは無理なんだよ。ハイタッチを仕掛けられるような勇気は俺にはないし、そのハイタッチを待機できるような強靭な精神力というものも持ち合わせていない。いちどでいいからうまくハイタッチをこなしてみたい。死ぬまでにやりたいことリストに入れたい。

 

 しかし、あのときのシチュエーションを翻って鑑みると、ハイタッチには極意というものがあるな、と気がついた。

 

 それは助走である。私とコンビを組んだ保護者のかたは、ハイタッチを求めるときに、かなり前から掌を味方の小隊に向けていた。つまりこれは「いまからハイタッチしに行くよ」という符牒であったのだ。さすれば、待ち受ける人びともハイタッチの支度ができる、というものである。ハイタッチには準備がひつようだったのだ。

 

 私の心にはその「ハイタッチを常備する」という概念がないため、いつでもハイタッチを虚しくさせていた。「どうせ俺にはハイタッチしないだろう」という、いわば油断、驕慢、不遜があったのだ。だから急に上げられた両手に対しておどおどとするばかりで、絶好のハイタッチを見逃してしまうのだ。

 

 みんなハイタッチに備えて生きている。とくにこういったチームでの勝利を分かち合うときにハイタッチの事前準備を自宅でしてきているのだ。私にはそれがなかった。そういう家庭でそだたなかった。愛が足りなかった。

 

 だから私は息子に、ハイタッチが自然にできる家庭を用意してあげたい。よろこびに満ちた両手を無駄にしないために。よろこびを分かち合える人間になれるように。

永遠にともに

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