土曜。コストコの鬼になった。責めの買い物をした。はは、手許不如意。あ、念のために説明いたすと、コストコとはアメリカのよろず屋である。アメリカ人の、おはようからおやすみまで暮らしに夢をひろげる企業。それがコストコの実態。
コストコはぜんっぜん安くない。巨人の国アメリカの生活事情にそっているため、大量パッケージ販売をしている。ゆえに「少量に考えると…」なんて自己遁辞がはたらくが、おうちに帰り、冷静になって翻ってみると「なんでこんなに買ってしまったのか」と臍を噛むのである。
だが、ひとはコストコに行く。てゆうか、おれは行く。おれ達は行くんだ。コストコに。家庭の経済を歯牙にもかけず、おれは間歇的にコストコの鬼になる。なぜか。その答えは段落を分けよう。
分けた。リーダビリティですな。つまり、コストコに行く理由とは、コストコに宿るテーマパーク感、である。
ひとは「忙しい、忙しい」といいながら、忙中閑あり。なんてって、ディズニーランドに歩をはこび、ランド内に充溢する享楽的、遊蕩的、狂乱的なムードに犯されようとする。
そこではふだん口癖である「時間がない」もでてこない。たかだか一〇分間にも満たない、レールのうえを電動滑車が動作する籠に、二時間も三時間もかけて列して挑もうとする。時間をわすれているのである。
なぜ忘れてしまうのか。なぜふだん口を衝く「忙しい」がでてこぬのだ。というのはわかっている。ディズニーの魔力に囚われているからである。みんなわかっている。それなのにディズニーに行く。それはディズニーが時間のテーマパークだからである。
平均寿命が延長された平成の世で、おれたちには生きる時間があるようにおもわれる。だが、その実情は時間に追われる日々である。超いそがしい。現代人は時間がない。かくばかり/すべなきものか/世の中の道
そういったせせこましい時間の概念をいったんソフトリセットする。それがディズニーランドの機能である、とおれはおもう。時間を贅沢に、芳醇にしようする、時間のテーマパークなのである。
ではコストコはどうなのだ、というと、その金銭面的役割。すなわち、経済のテーマパークなのである。大量に物品を購買し、超たのしい! ってなる場所なのである。
慙愧に耐えぬおもいであるが、ぶっちゃけると、おれは超貧乏だ。だが「金がない。金がない」といいながらもコストコに行く。それは、貧窮にからまれる人生を忘れさせることのできる場所、ふだん金がない不経済な人生に一条の光を射しこむことのできる、ただひとつの娯楽なのである。
そうして今回もコストコの鬼になったおれは、だいたい四万円分の日本銀行券を消費した。明日から葦についた朝露をなめる生活になる。きびしいぜ、世界。世間を憂しとやさしと思へども/飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/アメリカへ