まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

若者研究家というナゾのおっさんとドーナツ化議論

 

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朝はZIP!という情報番組をつけている。

たぶん今日出ていたからそうなんだと思うんだけど、毎週金曜日に準レギュラーとして若者研究家というナゾのおっさんが出演している。外見はクロちゃんという芸人に似ている。

私は「若者研究家」という、その肩書き、フレーズがたいへんお気に入りである。

彼はさまざまな流行に沿った話題を提供してくれているのだが「おっさんが若者研究してる」という事実に私はなんだか気が向いてしまって、いっさい内容が入ってこない。

字面で表すならば「おっさんがwww若者www研究wwwしてるwww」といったところであろうか。

 

でもしかしだ。

若者を研究するならば、おっさんであることは必要最低条件なのでは?

とも思ったので日記に書いておこう。

 

物事は俯瞰してこそ真実が把握できる。真実とは客観的な普遍性だ。

自分が自分のことを「A型で几帳面!繊細な人間だ!」とおもっていても、じっさいの客観的な評価、つまり、まわりの人間からの評価は「そうかなぁ。雑だよ。もっとO型っぽい」ごときに相違がある場合がある。(ここで入れるべきフォローは、血液型で人を判断するなんて言語道断!O型の人ごめんなさい。的なことなのだろうけど、O型は雑です。ざんねんでした。)

 

この場合、真実というのはどちらなのだろう?と思ったりする。

自分のなかのイメージの自分と、周りからみた評価の自分。

おそらく後者なのであろう。

どんなに自分をこうだ!と信じていても実が伴っていなければ説得力がない。

自ら描いた偶像よりも、まわりの客観的な判断のほうが説得力がある。

 

おっさんが若者研究家になるとは、そういったことではなかろうか。

つまり、若者が若者を研究すると、そこに若者としての主観がまじってしまう可能性があり、客観的真実は見抜けないのでは?ということから、若者研究家は若者以外の若者に対する俯瞰を持ち得ている人間がなることが必須である。

ということでおっさん、もしくは熟女などのかつての若者。ex若者が若者研究家となるべきなのであろう。

 

ゴリラ研究家はもちろんゴリラではない。

とつぜん話しがゴリラにとんだが、意図的です。

研究業、まぁ生業とカテゴライズしてしまうだけで人間臭いのだが、研究は人間がしている。みんな知っていると思うがカマキリはゴリラを研究しない。いや、してるかもしれないがこちらにはその情報は届いていない。

人間はゴリラの生態を調査、研究、定義付けする。客観的に。

その一挙手一投足に意味を見出すため、ああでもない、こうでもないと白熱した討論を重ねる。ドラミングとはグーでなくパーでおこなう。その意味は闘争の威嚇ではなく、哀願の表現だ。とかなんとかいっちゃって人間の感覚でゴリラの行動に意味をもたせる。

ゴリラを囲い込み、ゴリラを渦中におき、勝手な妄想、想像、推察、ラベリングにより脱線してく議論。ドラミングができないなんてメスゴリラに対する差別だ!シルバーバックは男性優位社会だ!私はチンパンジー研究家だから私の意見は正しい!いや、ゴリラはその筋肉の形成からボディービルダーの意見を尊重すべきだ!消耗するバナナの量はかくかたりき!バナナ農園の人の意見も取り入れるべきだ!

肥大化する議論。罵りあう人間。各々の立場、主張が正しいと言い張り、戦いはゴリラを中心に据え、周りだけが大きくなっていく、まさにドーナツ化する議論!

意見が気に食わねば人柄も気に食わねぇ!コイツはゴリラをまるでわかってねぇ!

 

しかしなにが正しいのかなんてゴリラ本人にしかわからない。

 

もし私がゴリラであれば、そんな人間を滑稽に思うだろう。

ドラミングにそんな意味はないよ。なんて思ってしまうだろう。

 

若者研究家もそうなのではないか。

客観的にといいながら大人の都合で判断する。

若者の本当の気持ちも知らないまま。

 

そんなことが、ことあるごとの事象でも起きているきがする。

ネット社会ってそんなかんじ。みんな発信できるからね。

勝手に怒って勝手にかなしんで。とにかく周りで盛り上がっちゃってる。

気がする。そんなことが言いたかっただけ。

 

わたしは熟女研究家になりたい。