まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

いつから夜明けがこわくなったのか

 

いつからか朝が来るのがこわくなっていった。 

「夜明け」という単語は隠喩で、希望、暗黒期の終わり、絶望からの経過的救済や、なにかが始まる予感、として使用されることが多い。

いわゆる「明けない夜はないぜ」ってポジティブなフレーズなんだろうけど、ここ現実世界においては、この夜明けほどこわいものはない。

 

はてなぜか?と思案を巡らせてみた。

以下は思慮の結果であるが、つまり、日常な生命活動および社会的生存を同時に処理するためには、社会が作り上げた貨幣経済に乗っ取らねばならず、その主たる金銭を合理的に取得するためには、胴元に所属し奉公を勤めなければならないのだが、それは基本的に朝から晩、つまり夜明け後のお天道様が上っている時間に従事するため、業務より解放された夜のこの家族とのふれあい、団欒、宴、自己放埓なこの刹那を終了させねばならず、入眠における人生のロスタイムを含めれば、自由を謳歌できるこの夜の瞬間をもっともっと楽しんでいたい!遊んでいたい!いや、遊ばなくてもいいんだ、とにかく私は仕事に行きたくない!ということであって、

 

端的に言えば「働きたくないなぁ」ってことですね。

私にとって「夜明け」というのは、直喩で、絶望であり、暗黒タイムの始まりであり、希望の終了、仕事がはじまる予感でしかないのです。

明日なんてこなければいいのに!!

 

なんて思った風邪っぴきの昨日の帰路。

というのもイースタンユースの「夜明けの歌」というのを聴いていたから。

 

この曲は「感受性応答セヨ」というアルバムに入っている。

 

感受性応答セヨ

感受性応答セヨ

 

 

「感受性応答セヨ」。

なかなかすごいタイトルだなぁ、なんて思う。

歳をとってこの感覚がすごく身にしみる。

 

感受性ってもっと身近なものだった。

「だった。」

過去形の理由は、いまはもう、どこか遠くに行ってしまったからだ。

昔は仲がよかった感受性。

公園で遊んだってそこはバトルフィールドになるし、いい感じの木の棒を拾えば、それは伝説の剣となりうる。見えない銃弾を避けられたのも、魔法がつかえたのも感受性のおかげだった。

中学高校も一緒だった。高校で彼女が出来たときには「俺と彼女、どっちといて楽しいんだよ!」なんて言って、なんだか気まずい雰囲気にもなったっけ。

 

大学で疎遠になった。私が上京したからだ。

「元気でな」なんてそんな一言を言うために、それだけのために140円の入場券を買って新幹線のホームまで、わざわざ見送りに来てくれたっけな。

「俺はこの街に残るよ。」

お互いの選んだ道に間違いも、正解もないのかもしれない。ただあるのは「別れ」

バイバイ感受性。

でも一生のお別れじゃないよな?

だから、またな、感受性。

 

そして、いつの間にか大人になった。

あのころいつも傍にいて、一緒にバカやってた感受性はもう、近くにいない。

 

ヤツの存在を確認できるのはこの通信機器の先だけ。

「感受性ッ!感受性ッ!応答セヨッ!応答セヨッ!…クソッ…繋がらない…いったいどうしたって言うんだ…」

 

「ザーッ………」

 

ノイズが交じるトランシーバーの向こう側。

 

息も絶え絶えな、血まみれの感受性。

 

なにかが始まりそうな予感です。

もう朝だから。