もうこの人とは一生会わないだろうなぁ。と思う人に、けっこう無礼な態度をとってしまう。「いや、おまえ、ふだんから無礼だぞ 」とか思っている方もいらっしゃるでしょうが知らねぇよ。
これは日本の古語にある「旅の恥は掻き捨て」というヤツなんだろうけど、そんなに旅なんかせんし、日常的にその心情や行動を形容したいとき、私は表題のごときネーミングを使用する。
たとえば最近、とあるバンドセッションなんかに参加したとき、サカナクションのキーボード弾いている人みたいなサイバーな格好をした女性がいたんだけど、私は素直に「きみサカナクションみたいだね」って言ってしまった。
まわりも笑っていたからみんなそう思ってたんだと思う。けど今後も付き合いの予想される人にはこんなの言わないよ。
日本は恥の文化である。外聞や体裁、しがらみを気にするので、それらが「線」で伸びたり、つながったりする関係には慇懃なさまをとりつくろったりする。あとでの評判やうわさが怖いから。
でもその場限りの「点」の関係であれば、けっこうなんでも言えちゃう。だから言っちゃうんだけど、あぁ俺はいま俺に友達がすくない理由がわかった。
「もう二度と会わない」と決意した人間には素直になれる。率直な意見を忌憚なく言える。一生会わない戦法とはそれ。
しかしこれが「続く関係」だとすると臆してしまう。関係性の防衛。日本人は自ら引いた線や、つながりで出来たちいさなムラで生きているからだ。
じゃあその線が自然に終わるとき、つながりが本人の意思に関係なく断たれるとき、人はもっとも素直になれるのではないだろうか。つまり弥生。この3月の卒業シーズンは感情の吐露にもっとも最適なのでは?
ひとはそれを告白と言う。俗っぽく記載すると告る。告っちゃう。なんなんだ告っちゃうって。自然と出ちゃうのか。意思をもって行うのが告る、で自然と思いがあふれ出ちゃうのが告っちゃうなのか。なんだよ、素敵じゃねぇか、告っちゃう。
告っちゃうというと、恋愛感情。相手に「好き」と伝える気持ちは時として残酷な結果をもたらし、継続すべき関係性を終焉させてしまう可能性がある。
だからこそ3月の卒業シーズンはベスト。切れそうな縁を繋ぎとめられる可能性と、切れてしまっても一生会わないで済む可能性があるので良好なタイミングだ。
そう考えると「もう一生会えないかもしれない」と「もう一生会わないかもしれないから、いっか」は紙一重かもしれない。つまるところの一生会わねぇ戦法ですね。戦法っていったい俺はだれと戦っているのか。
そういえば卒業式、学ランボタンの譲渡システムがある。まだあるはず。あるよね?おじさんは信じたい。
ボタンはなぜだかランク付けもされており、第二ボタンが最上位、その他は胸に近い位置からランキングされていく。
「憧憬である。学生服の釦を頂戴したい 」
と、この発言は比較的しやすいようだ。なぜなら「一生会わない戦法」だから。ふだんは声を掛けられない下級生も卒業生に声を掛けられる。ちなみに私は袖のボタンまですべてなくなった人気者だはっはー!
しかし、それをもらってどうする?予備釦にするのか?いやしかし君はセーラー服ではないのか?と小首をかしげてしまうが、こっちも「まぁいっか」の気持ちで贈呈する。もう一生着ない戦法ですね。
ちなみに、なにも告っちゃうのは恋愛感情だけでなく、過去のあやまちや、打ち明けられない真実を告っちゃうのも、この3月はありなんじゃあないかしら。
別れの季節です。もう一生会うことのない人に明かしていない、明かすべきこと、ありませんか?って偉そうに含蓄垂れやがって。ってそんな自分から卒業したい。もう3月なので。
っていいながら最後に私も告っちゃうが、じつはまだ2月。
もうすこし寒い日が続きそうです。
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今週のお題「卒業」