まだロックが好き

まだロックが好き

おめおめと生きている日記

終わりなき旅を聴きながら田原の気持ちを考えると泣ける

 

ちょっと気恥ずかしさのある発言だけども、ミスターチルドレンの「終わりなき旅」という曲が好き。

名曲を恥じるな!と言われそうですが、私、すでに30を越えたおっさん。しかも妻子もち。それが「もっと大きなはずの自分を探す」つって自分探しの旅にでてたら、ちょっとひくでしょう。いいかげん大人になりなさい、ってなるでしょうね。

 

でもね、やっぱりいい曲なんですよ。こう、なにか壁にぶち当たったときとかに聴くとほんと、あぁ良いなって思う。ちんぷな表現だけど、マジ泣ける。

 

「4分以内に曲をおさめられない作曲者はポップスを作る才能がねぇ」とは、私の言葉ですが、この曲はまさかの7分越え。ちなみに私はカラオケでよくこの曲を歌うんですが、歌っちゃあ、おいおいぐいぐい泣いてます。うーん、ちょっとうまく感情が入らなかった、桜井エッセンスが足りなかった、つって2回歌うこともしばしば。そしてまた泣く。めいわくですね。

 

転調がどうのこうのというと音楽マンっぽくて格好つきますが、小ざかしいのでやめときますね。ウィキペディアにも載ってますし。やはりここは歌詞がいい。歌詞にグッときてしまう。と言いたい。

ちなみに私はそんなにミスチル詳しくない。たいしてファンでもない。けど、いいものはいいんだ。

 

ユーチューブなんかでライブ映像をみる。

桜井のテンション。ヤバイ。ライブ会場なんかで見ちゃったらわんわん泣けるとおもう。あの瞬間の桜井は神。神になっている。勧誘されたら入信してしまう。ミスチルが信者と呼ばれる理由がわかる。

しかしパソコンの画面越しに、そうでもないテンションで見ると、これはけっこう置いてけぼりをくらう。視聴者へ配慮の欠けるあつすぎるテンション。ぽかーん、とするときがある。

 

そんなときでも冷静にギターを弾く田原。桜井の横でギターを弾く田原。高校のころ、ギターをもっているってだけでミスターチルドレンの仲間入りを果たした強運の持ち主、田原。でもほんとは野球がやりたかった田原。その強運ならいまごろメジャーリーグで活躍してたかもな、田原。

 

ちなみに田原のギターパートはライブでみると地味なアルペジオ。イントロのコードストロークから桜井がしゃしゃりでている。それでいいのか、田原。

極め付けはラストのギターソロ。ギターソロをギタリストに弾かせないボーカル。完成されたソロではないが、情熱的なペンタトニックを弾くボーカル。いいのか桜井。それは田原との合意を得たのか。「この曲のソロはおれが弾くから」その言葉を放って終わったのではないか。「俺で締めくくるから」そんな発言が飛び出していないか、勘ぐってしまう。

 

しかし、たぶん田原は主張できない。いや、しないのだ。このミスターチルドレンというバンドで俺はクロコ。みんな桜井の歌を、曲を、彼自身を見に来ている。だから俺は日陰にいればいい。地味にバッキングを弾いてアンサンブルを足していればいい。そう思っている。

 

思えばあのころから桜井はそうだった。「俺のとなりでギター弾けよ」そう言い放っただけだった。俺はほんとは野球がしたかった。サッカーだってやりたかった。なのに俺はこうして桜井の横で今日もギターを弾いている。桜井はいつだって俺にたちはだかる。

 

田原はたぶん大きな壁にぶち当たっている。桜井という壁に。

 

だから田原をみていると泣ける。

田原があの瞬間、もっとも終わりなき旅をしている。もちろん桜井が作った曲だ。しかしすでにゴールしちまったような人生の桜井。それでも、なにか答えを探しているのは田原なんだよ。閉ざされたドアの向こう新しいなにかが待っている、とあの場面でもっとも思っているのは田原なんだよ。難しく考え出すとけっきょくすべてがイヤになって、そっとそっと逃げ出したくなるけど、高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな、と桜井を横目にギターを弾いているのは田原なんだよ。胸にかかえこんだ迷いがプラスの力に変わるようにいつも、今日だってギターを弾いているのは田原なんだよ。

 

受け取る側のタイミングによって、エモい桜井はときに毒になる。尊敬すべきミュージシャンだが、たまにやりすぎでは?とおもうことがある。終わりなき旅のライブバージョンではとくに思う。ひいてしまう。

そんなとき田原を思う。田原の心中を察する。応援したくなる。

だから私は田原にこの曲を捧げたい。

壁にぶち当たったっとき、そっと背中をおしてくれる曲だよ、って。

ミスターチルドレン 「終わりなき旅」

 

終わりなき旅

終わりなき旅