まだロックが好き

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おめおめと生きている日記

三井のリパークの「リパーク」についての誤解

私の通勤路に三井のリパークという駐車場がある。コインパーキングである。

 

パークの意味は知っている。車のギアにも「P」というものがあり、その正体はなにを隠そうParkの頭文字Pであって、つまり駐車するという意味である。

 

それはいつのまにか名詞化してしまい、駐車場の意味になり○○パークや△△パーキングなんて具合に駐車場のネーミングとして利用されている。

 

しかしリパークとはどういう意味なのだろうか。と思ったのです。聞きなれない単語だな、と。グーグルでしらべてもちゃんと意味は出てこないし。

 

でも、たぶんreparkなのだろう。接頭語の「re」+前述の「park」でリパーク。この「re」が示すのはリサイクルの「リ」であり、なじみある表意文字で意味をあらわすのであれば「再」である。

 

以上のことから察するにリパークとは「再駐車する」という意味なのか。

 

いや、しかし。それはたんに駐車がへたなだけではないのだろうか。駐車したときにずいぶんななめになってしまって「やりなおし。リパーク。」とでも言うのだろうか。

 

それとも、とても狭い駐車スペースなので何度もきりかえして駐車しなければならない駐車場だから「切りかえし必須!」という意味でリパークと書いているのだろうか。まぁどちらにしてもユーザーに失礼な駐車場である。

 

企業としてそんな失礼なネーミングをつける訳にはいかないと思う。なので私は上記の意味ではないと思う。以下2点ほど代替案を考えてみた。

 

まず一つは「三井ノリ パーク」という意味である。つまりこれはノリノリのノリ、音楽的に言えばグルーブである。

 

グルーブとはノリある。縦ノリ横ノリ、いろいろあるうちの三井ノリである。しかし果たして三井ノリとはなんなんだ。なんか緑っぽい?ってな具合か?これはちょっと無理がある。自分で考えといてかなしいが、早速却下である。

 

もうひとつは人名パターンである。こちらは有力である。

現世の日本にはたくさんのパーキングがある。それはおもに八代パーキングだとか、GSパークだとか、野本駐車場とか名前や地名が入るのである。これは統計として日本に住むものの認識になっているはずだ。

 

これを三井のリパークにあてはめる。つまり「三井のり」パークである。これは真意をついた思っている。

 

よってまず私は自分を恥じたい。ステレオタイプにやられていた自分に喝を入れたい。私は勝手に「三井の」「リパーク」だとおもっていたわけである。

 

しかし、ひらがなの「り」とカタカナの「リ」はフォントによっては一緒であり、この三井のリパークの「リ」がひらがなであることを疑わなかったのだ。

まるでそれは春の次にくるのは夏であるように。お天道様は東から昇るように。まじめに生きていれば私はきっといつか幸せになれる、と思っているように。

 

つまり三井のりさんは地主であったのだ。全国にたくさんの土地を持っていた。しかし、もっているだけでは税金がかかる。もっているものは運用せねばならない。という具合に三井のりさんが創業者として始めた駐車場業務ということである。

 

しかし果たして三井のりさんは駐車場を経営したかったのだろうか。自分の名を冠したのだからもっと誇らしい場所を作りたかったんじゃないだろうか。そこでこのパークの本来の意味を考えてみる。パークのもともとの意味は「公園」である。

 

三井のりさんは本当は公園が作りたかった。

これだけの大地主である。コンクリートを敷き詰められるまえ、ここは田畑であった。だから農業に従事した。そして三井のりさんは家族をかえりみず懸命に働いたのである。

そんな親の背中を見て育った三井のりさんの子どもたちは親の愛に飢えていた。親は仕事ばかりで、ぼくたちわたしたちのことをおざなりにしている。かなしい。

 

いやちがうんだ、こどもたちよ。三井のりさんの心にはいつでも子どもたちの笑顔があった。その笑顔を守るために懸命に働いたのである。

 

これは矛盾である。こどもたちへの愛ゆえにこどもたちをないがしろにしてしまう。悲劇である。三井のりさんのこどもたちはいつも家の中で遊んでいた。小さな世界に生きていたのだ。

 

そんな罪の意識からか、晩年、三井のりさんはこどもたちが世界と関わりをもてるような場所を作ろう、そう思った。そこに行けばいつも誰かがいる。さみしくなんかない。そんな公共の場を作ろう。こどもたちの笑顔が溢れる公園を作ろう!そう思って三井のり公園を画策したのであった。

 

しかしこれに異を唱えるものがあった。まさにその三井のりさんの子どもである。

 

こんなに広大な土地を一銭にもならない公園にしてたまるか。しかもなんだよ公園って。あほか。俺らはおまえの愛情なんて受けなかったのに、なんで赤の他人なんかにやらなきゃならんのだ。

とにかく俺らは苦労なんてしたくない。不労所得が欲しいんだ。カネカネカネカネ。ずいぶんと鬱屈したこどもたちになってしまった。

 

しかし譲らないのは三井のりさんである。絶対に公園にする。そんな遺書をも書いた。すれ違う家族である。一計を謀したのは長男の三井銭介である。

 

「わかった、俺らが折れよう。あの土地は公園にするよ。だがしかし三井のり公園ってのはモダンじゃない。ここはひとつ三井のりパークって感じにしよう。」

 

ここから話はとんとん拍子であった。三井のりさんは三井のり第一パークが完成するまえにこの世を旅立った。その本当の姿を知ることもなく。

 

そんなことを思ったのですが、本当のところはどうなんでしょう。三井のリパーク。さいきんこんな日記が多いですが、いっこうに企業からの連絡は来ません。

 

三井のリパーク関係者のかたがいらっしゃったら本当のことを教えてください。ご連絡お待ちしています。