5月4日木曜日晴天。
過日。我がゴールデンウィークの火蓋は切っておとされた。しかし、その日のニュースで「本日よりゴールデンウィークも後半に突入しました!」なんて仰っていた。たいへん配慮に欠ける発言であった。傷心したのでBPOに訴訟した。後刻、広げた半紙に「勝訴」の文字があった。ゆえに賠償金500万円をゲットした。それをすべてあしなが募金に寄付した。なぜならば私の精神は幸福感に満ちていたからである。理由は以下日記である。
所沢航空記念公園に行った。また行きたい。 - まだロックが好き
ゴールデンウィークという合法的な心の救済は人間をやさしくさせる。明鏡止水。
5月5日金曜日晴天。
休日になにもない、なんてことはないんですよ。生きているかぎり。
過日。私は好きな四字熟語が決定した。それは「連日休暇」である。本日を含めてあと三日も休みがある!ハッピー!!私はサンバを踊った。赤道直下のにおいがした。なので私は、ダイソーというだいたいのものが100円で購入できる道具屋に行き、水鉄砲を2丁購入した。銃器の許可書はもっていないが今後申請をだすつもり。それを使役して息子と水のかけあいをした。後刻、「おかしを今食べる」「夕飯が食えなくなるから食べない」という水のかけあいもした。私が負けた。
その夕。冷凍作り置き食材として、からあげと肉巻きフライを業者レベルに量産した。うまかった。やはり手作りは良い。冷凍庫はぱんぱんになった。
5月6日土曜日晴天。
過日。妻は仕事に行った。残された夫と子は涙をもって餞けとした。息子はカーズという擬人化した自動車のキャラクターが大好きなので、かかるカーズという映画を観た。アマゾンでレンタル400円であった。カーズはいい映画である。起承転結が素晴らしい。調子にのってプレーンズというカーズの世界観を踏襲したデジタルアニメーションムービーをレンタル購入した。息子は観なかった。なので冒頭だけ観てそのままレンタル期間が過ぎた。息子は気分屋という感情を勝手気ままにばらまく商売をしている。保育園児と兼業である。二足のわらじをはく男である。
夕飯。おうち焼肉をした。なんだか文章が竜頭蛇尾しているがそんなもんです。
5月7日日曜日絶望。
かかる連日休暇最終日。和室に設えた五月人形を片した。どこになにが入っていたかはちゃんと記録しておかないといけない。という教訓を得た。なぜか入りきらない道具があったのでゴミ袋に入れて保管した。
その後夕立が現れた。稲妻が奔り、雷鳴がそれを追った。
思えば、4日間だけどゴールデンウィークをこんなに休んだのも初めてだったかもしれない。私は土日祝祭日でも手持ちの現場が稼動していることがあったりするので出勤することがある。祝祭日なんてのはまさにそれで、けっこう出勤することが多い。しかし今回は運良く休めた。
幼少期の時分。母は婦人服販売を生業としていたので、基本的に休日は学童保育などに行っていた。連休に母とどこかにいくという思い出はない。学生時代もバイトはコンビニや居酒屋だったので休むことはなかった。それが普通だと思っていた。連休を連休できるのは特権階級のみだと思っていた。母子家庭の貧乏人育ちには縁のないはなしだと思っていた。
しかし、やはりみんなが休んでいるときは休みたい。そう思ったのは妻が休日を休日として謳歌する人種であったからである。なので近場にお出かけしたり、スーパーマーケットで買い物をしたりした。
しかし私の心には少しの罪悪感がある。というのもやはり世の中をエンタテイメントできるのは休日も働いておられる方々がいらっしゃる、という事実に支えられているからなのである。
私がそちら側の人間だったからであろう。連休中、労働に従事している御仁の腹底には、苛立ちや鬱憤が暖炉の中の木炭ようにめきめきと音を立て橙熱を放っているように感じる。
シフト制というのはどうしてと休みが取りにくい。代番というシステムが発動するからだ。休むことが出来ても後顧の憂を残す。人生は正確ではない。
しかしそんな御仁のおかげで私たち家族は休日をパステルカラーの幸福で満たすことができた。世界は誰かの仕事でまわっている。
そんなことを考えて窓ガラスを打つ雨粒をみつめていたら、いつのまにか頬が濡れていた。
今週のお題「ゴールデンウィーク2017」